【序章】 4296氏 「殺されるかと思いましたよ」 クレア・ヒースローはルナ・シーンにそう言った。 「悪かった。敵側に傍受される危険性があったものだから」 敵が行ったこと。 それは、彼らをわざと逃がし、脱出ポッドを二機発射させたことだった。 片方にはクレアたち。 片方には爆弾ポッド。 敵側も同じ作戦が二度も通用するとは思ってはいなかった。 工夫を凝らした。 本当はクレアたちが乗っているポッドには、爆弾が。 本当は爆弾が載っているポッドには、クレアたちが。 それぞれ乗っているかのような情報を流し、クレアたちのポッドを破壊させ、爆弾ポッドを回収させようとしたのだ。 では、何故、それをルナ・シーンたち味方が知り得たのか。 敵艦に残ったもう一人のスパイ。 ノーラン・ミリガンのおかげであった。 その情報を得た時、既に迎撃を行う機体はカタパルト発射寸前だった。 静止も空しく、機体は発射してしまった。 そして、次に味方が行ったこと。 それは、迎撃に向かった機体の一部を故障させることだった。 新しい機体は故障を起こし易い。 その為のフォローが指揮室では可能である。 もちろん、その逆もしかり、である。 機体のレーダーには爆弾ポッドしか測定しないように故障させた。 迎撃に向かった機体は、そのまま爆弾ポッドを破壊。 クレアたちのポッドを回収に向かった部隊は、レーダーに映らないステルス機がいる可能性を考慮し、ギリギリまで芝居をした。 ルナ・シーンはポッドを回収。 背後には、味方側のステルス部隊が控えていた。 敵側は存在したが、何故かすぐに白旗を掲げて降伏した。 降伏した際の代表者は、ジュナス・リアムという少年であった。 以上が、あの時起こった出来事の全てである。 「本気か」 『本気です』 「放り出して逃げようと言うのかね」 『分かったのです』 「何をだね」 『自分は、ここに居続けることの出来る人間ではないことが』 「それが、結論か」 『はい』 「そのような曖昧・哲学的理由で私が許可をするとでも?」 『しますよ』 「何故?」 『情報部も知り得なかった敵側の強化人間の名を知っています』 「何だと?」 『名前から、何か分かるかも知れません。それからは情報部の仕事です』 「その情報と引き換えに…」 『退役させて頂きます』 ガルン艦長は、そこで目を閉じた。 やばいかな。 ちょっとビビってんだけど。 言い過ぎた…? やがて。 ガルン艦長は大声で笑い出した。 「戦争は、終わるか?」 呆気にとられている場合じゃない。 『終わります。敵側の非人道的な作戦に、兵士の心は離れています』 ジュナス・リアムという名の顔も知らない少年兵。 彼の言葉と行動が、その根拠だ。 「ふん」 そこで艦長は笑った。 驚いた。 この人も、こんな優しそうな顔をするんだ。 「シェルド・フォーリー少尉。その任を解く。ご苦労だった。」 指揮室の外に出た。 『ああ、もう嫌だ。緊張した。もうごめんだ。二度とあの人に会いたくない』 シャツの襟首をつかんでパタパタする。 汗でびっしょりだ。 通路の角を曲がると、そこに皆がいた。 『あ…』 「降りるのか」 ルロイが訊く。 『うん』 「…」 ラナロウが苛立ちそうに頭を掻いている。 言いたいことがあるけど、言葉が出てこない時の癖だ。 『待ってるよ』 「あ…?」 『余計なことを言う相手がいなくなると、つらいからね』 「この野郎…」 そこでラナロウに笑みがこぼれる。 『みなさん』 そこで僕は姿勢を正した。 『陸で、待ってます』 敬礼した。 皆も敬礼で返してきた。 そこで、 若干二人ほど、姿が見えないことに気が付いた。 『えっと…』 困っていると、マリアさんが助け舟を出してくれた。 「自分の部屋にいるよ、二人とも」 『あ、そうですか。え、でも』 「こんな時に女子棟入室許可を出さないなんて、無粋なことしないわよね。エターナ?」 「勿論ですよ」 『あ、ありがとうございます』 そこで礼を言って、僕は女子棟へ向かった。 「どっちから先に行くと思う?」 「どっちだっていいじゃない」 「賭けっか?」 ドクさん、パティさん、バーツさん。 聞こえてますってば。 「陸に降りるんだ」 『ああ、艦長に話はつけてきた』 クレアは、口だけで「そっか」と呟いた。 『一緒に来ないか』 うわぁ、僕らしからぬセリフ。 「何で」 『何で!?』 「…何で?」 言葉に詰まった。 『いや、あの、なんてゆーか、うん、あの』 駄目だ。 やっぱ、僕は僕だ。 「はぁ…」 彼女はため息をついて立ち上がる。 「私の退役許可は出てないんでしょ」 『え?ああ、うん。これから出る…』 じっと睨まれる 『…と、思う』 決まらないなぁ、僕。 「何で私を連れて行きたいわけ?」 『え?ああ、それはねクレアの母さんに頼まれてたんだ』 「母ちゃんに?」 『母ちゃんはやめろって…。それでさ、後悔したんだ』 「何を」 『守ってくれって頼まれたとき、どうしてわざわざ付いて行ったのか。どうして攫って逃げなかったのかってさ』 「…」 いや、赤くなるなって。 そういう意味じゃないんだから。 『それでさ、流されるだけだったけど、そういうのは止めたいんだ。だから』 「だから、一緒に来いって?」 『うん』 クレアはそこで黙った。 簡易ベットに腰掛け、手を組んでいる。 僕も、なんとなく黙った。 静寂の後、クレアは突然立ち上がり、言った。 「いい?」 クレアは僕の前に右手を突き出す。 「アンタは、私を守れなかった」 僕は、何も言えなくなる。 「アンタは守れなかった」 彼女の右手には、小指がない。 「幼馴染を、守ることが出来なかった。後悔した。攫って逃げれば良かったって。でも」 彼女はそこで息を吸った。 「それは、私の母親に頼まれた、から」 え。 「アンタ自身からの動機じゃ、ない」 それは、 「本当に守りたいのは、誰なの?」 憑き物が落ちたように、私の体の中から憎しみが消えていた。 どうして。 あんなにも、 全てを憎んでいたのかが分からない。 私は、 何をしていたんだろう。 そして… そこで、思考を停止する。 もうどうでもいい。 今まで通り、彼の後ろ姿を見つめるだけの生活が続くだけだ。 彼が私に接する機会だって、そうそうない。 告白したいと思う一方で、彼と話している夢を見るだけでいい。 そう思う自分がいる。 諦めの自分と、諦めきれない自分。 違う。 言えば、よかった。 彼が落ちたかもしれないと知った時、そう思ったじゃない。 言わなきゃ。 会って、伝えなきゃ。 私は、 私の気持ちを。 その時、ドアがノックされた。 『はい、どうぞ』 一瞬の期待を交えて、ドアに向かって声をかける。 まさか、そんなことは起こらないと思いつつ、彼の訪れを願っている。 期待しないの。 私から、会いに行かなきゃ始まらないんだから。 私から… 『入るよ』 その時、私の時間が止まった。 この声、私は… 私は、この声を… ドアが開く。 そこに彼が立っていた。 私は思わず、彼の胸に飛び込む。 『ああ、そうか…』 彼が呟く声が聞こえる。 何も言わないで、ダメ、何か言って。 抱きしめて、違う、何もしないで ああ、もうダメだ。頭の中がぐちゃぐちゃだ。 きっと私の顔もぐちゃぐちゃなんだろう。 どうしてここにいるのとか、どうして拒まないのとか… 訊きたいことは、たくさんある。 でも、いいの。 やっと、あなたに逢えたから。 声が聞こえる。 『行こう、エリス』 私は、応えた。 『はい、シェルド少尉』 -閉幕- 『ちなみに、敬称いらないから』 『え?じゃあ、何て…』 『うんまぁ、普通に、さん付けとか呼び捨てとか』 『無理です…』 『いや、無理って…』 「馬鹿みたい」 彼・彼女らが陸に降りて、 戦いのない世界で別の戦いを始める話は、また、別の話。 『始まり』は、終わった。