【半熟兵士と踊る空】692氏  機体をデッキ内の所定位置に戻し、エルンストはようやく一息吐いた。  ハッチを開けて外に出ると、Ez8の後背部を調べていたニードルが近付いてきた。  「おいおいおいエルンストの旦那よぉ。どんだけ無茶な真似やらかしたんだよ。バーニアがほとんどイカれてるぜぇ!」  「あー……そうか」  「修理にはちぃっとかかるなぁ!」  「悪いな、面倒かける」  「いやいやいや、そういう意味じゃねぇんだよぉ!」  愉快この上ないというように、ニードルが唇の両端を吊り上げる。  「ヒャヒャヒャ、普通はこういう機体のバーニア全開にする奴ぁいねぇぜぇ!? 加速の途中で意識飛ばしちまうからなぁ!」  「そうだな、実際その通りだった」  目を細めて呟くエルンストを、ニードルは不思議そうに見ていたが、  「あん? いやいやいや、ンなこたぁどうでもいいなぁ! 次はもっと機動力上げてやるよぉ! アンタがこいつの加速に耐えられるってんならもう我慢する必要ねぇからなぁ! アーヒャッハッハッハッハ!」  頭のネジが外れているとしか思えない高笑いを上げながら、ニードルの背中が遠ざかっていく。  それをぼんやりと見送っていたエルンストは、ふと自分が右手に何かを握り締めていることに気がついた。  コックピット内に張り付けていた、戦友たちの写真だった。すっかり折れ曲がってしまっている。無言で伸ばす。  エルンストとビリーが肩を組み、その横でマリアと腕を組んだクレアがカメラに向かってピースしている。他にも、エルンストにとっては懐かしい顔が、思い思いの表情で写っている。  何本か残った折れ目は、全員を一人ずつに分断するように刻まれていた。  エルンストの指先が、無慈悲な線を、静かにゆっくりとなぞっていく。  その時、Ez8の隣のスペースに収まったバギ・ドーガのコックピットハッチがゆっくりと開いた。  エルンストは折れ曲がった写真を胸ポケットに入れて、バギ・ドーガに近付く。  「カチュア」  声をかける。返事はない。コックピットを覗くと、カチュアはまだシートに座っていた。脱いだヘルメットを膝に置いて、俯いていた。  エルンストは無言でカチュアの返事を待った。帰艦したMSの周囲を飛び回る整備員たちの声が、二人を取り巻いていた。  「……怖かったの」  震える声で、カチュアが呟いた。  「デスアーミーに囲まれて、ワタシを睨んでたたくさんの目が凄く冷たくて、呼吸も出来なくなった、心臓が止まっちゃったかと思った、ワタシは、ここで、死んじゃうんだって」  堰を切ったように、カチュアの口から言葉が溢れ出す。涙が珠となって宙に浮かんだ。  「あんなに怖かったの、初めてだった」  カチュアは少し顔を上げる。涙に濡れた瞳が、上目遣いにエルンストを見た。  「隊長」  「ん?」  「宇宙って、怖いんだね」  カチュアは怯えるように両手で肩を抱いた。  「宇宙があんなに怖いところだなんて、今まで知らなかった」  「それはきっと、お前が幸せに暮らしてきたっていう証拠なんだろうな」  微笑を浮かべて、エルンストはカチュアの頭を撫でてやる。そして、気を紛らわせるように聞いた。  「家は地球にあるんだったか?」  カチュアが小さく頷く。  「でも、テレビでマークさんを見たとき、どうしても会いたくなって」  「懐かしい匂い、ってやつ……画面越しにそれを感じたってのか?」  「うん……その時は一瞬だけ。何でかな、それは本当は宇宙でしか分からないものなんだって、宇宙に行ったこともないのに、そう思ったの」  「そんな理由でこんなとこまで……何でお前、マークにそこまで……」  エルンストの疑問に、カチュアはぽつりと呟いた。  「お父さん、かな」  「え?」  エルンストが聞き返すと、カチュアは少し哀しげに笑った。  「ワタシ、何となく分かってるんだ。マークさんって、きっとお父さんに似てるんだと思うの」  エルンストは思わず、写真の入った胸ポケットに触れていた。  「お父さんって……お前の親父さんは、まだ生きてるだろ? 会社からのデータには……」  「あ、違うの。今のお父さんじゃなくって、ワタシを生んでくれたお父さん。顔も知らない、本当のお父さん」  衝撃のあまり、エルンストは言葉を失っていた。何を言うべきか慎重に考えたつもりが、出てきたのは震え声の一言。  「……聞いたのか?」  「ううん。一言も。でも、何となく分かっちゃうんだよね。この人たちはワタシを愛してくれてるけど、本当のお父さんとお母さんじゃないんだなって」  「勘違いじゃないのか」  「違うよ」  「何で?」  「何となく」  カチュアはあどけなく笑い、ふと首を傾げた。  「隊長、それなぁに?」  「え? ああ」  隠す訳にもいかず、エルンストは折れ曲がった写真を取り出してカチュアに差し出した。  「俺の戦友の写真さ。今朝まではもうちょっと綺麗だったんだがな」  カチュアは、その写真を食い入るように見つめていたが、やがて、  「ワタシ、この人知ってる……」  エルンストの眉がぴくりと動く。  「……若い頃の俺のことじゃないよな?」  「違うよ。隊長老け顔だからあんまり顔変わってないし」  「おい」  「そうじゃなくて、この人」  カチュアがまず指差したのは、ビリーだった。エルンストは小さく息を漏らす。  「やっぱり、か」  「それに、この人とこの人も」  マリアと、クレア。エルンストは眉をひそめた。  「クレアも……?」  「うん。あ、あとついでに隊長ね」  「ついでってお前」  「皆、すぐ近くにいるような気がする」  半ば確信しているように、カチュアが言う。エルンストは頬をかいた後、不意に目を細めて宙を見た。  「お前がそう言うなら、ホントに近くにいるのかもしれないな」  カチュアは目を丸くした。  「隊長がそういうこと言うなんて……」  「俺は霊だの魂だのってのはうさんくさいと思う人間だがな……ただ、そいつら宇宙で死んじまったからな」  エルンストは困ったように眉をひそめた。  「だからまぁ、そういうことだ。いるとしたら宇宙にいるんだろうよ」  「きっとそうだよ。皆、エルンスト隊長を守ってくれてるんだよ」  カチュアは愛しげに、写真の折れ目を撫でている。エルンストはしばらくそれを無言で見守っていたが、不意に言った。  「カチュア、それやるよ」  「え? どうして?」  きょとんとした顔で、カチュアは首を傾げる。エルンストはどう言ったものか迷った。  「まあ、お前にとっちゃ知らない奴等の写真だが……あー……まあ、俺にとってもお守りみたいなもんだったから……ほら、多分、今度怖いことがあったって守ってくれるぞ」  だからもらっとけ、とエルンストは続けようとしたが、それを言う前にカチュアが顔を輝かせて立ち上がった。  「え、じゃあ、ワタシまだここにいていいの!?」  「は?」  エルンストはぽかんと口を開ける。  「だって、今回あんなことになったから、隊長絶対言うと思ったもん、地球に帰れって」  「あ」  「やったぁ! 隊長がやっとワタシの部隊入りに賛成してくれたぁ!」  万歳、とカチュアは両手を挙げる。エルンストは慌ててカチュアの手の中の写真に手を伸ばす。  「待った、カチュア! さっきのはナシ! やっぱ危ないから帰れお前」  「ダメー! 一回言ったこと取り消しにするなんてズルイよ隊長ー!」  エルンストの手から写真を遠ざけ、カチュアはべぇっと舌を出す。  「お前、怖い目にあったのにまだ懲りてないのかよ」  「ちょっとびっくりしただけだよ! 今度はワタシ一人でやっつけちゃうモン!」  「お前な」  「それにさ、怖いことばっかりじゃないんでしょ?」  カチュアは写真を見ながら微笑んだ。  「あんな風に怖いこともあるけど、楽しい事だっていっぱいあるんでしょ? だから皆こんな風に笑ってるんだよね?」  エルンストが返答に詰まっている間に、カチュアはその脇をすり抜けてコックピットハッチに手をかける。そして、振り返って気楽に笑った。  「大丈夫だよ隊長、今度はきっと、隊長の友達が守ってくれるから。それじゃワタシ、エリスのお見舞いに行ってくるねー」  そう言って飛び出そうとしたカチュアが、横手から下りてきたドクに機嫌良く手を振った。  「あ、ハゲー。さっきは助けてくれてありがとねー」  「ハゲって言うな! お礼言うか馬鹿にするかどっちかにしろよぉ!」  デッキの出口に向かって飛んでいくカチュアに、ドクが怒って腕を振り上げる。エルンストは観念したように笑った。  「全くあいつは……ようドク、さっきはお手柄だったな」  「隊長……へ、へへへ」  ドクは少し照れたように笑う。  「隊長の言うとおり艦に戻ろうとしたんだけどよ、何でだか隊長たちを助けられるって思ったんだよな、あん時。出来るって確信したんだよ。そしたら……ホントに出来たぜ、ひゃは、ははは」  「ああ。どうだ、これでちょっとは自信もついただろ?」  「おうよ! 見てろよ隊長、今度はデスアーミーなんか俺が全部一ひねりだぜ! ひゃっはっはぁ! 斬って斬って斬りまくるぅ!」  無闇やたらに笑いながら、ドクは腕を振り回す。エルンストは首を振った。  「……やれやれ。どうやらまだまだ目が離せないらしいな……」  そして、ふと天井の方に目をやり、呟く。  「お互い、苦労するな」  答えはない。エルンストは苦笑した。  「何やってんだか……柄でもない」  その時、難しげな顔をしたニキとマークが近付いてくるのが見えた。エルンストは傷ついたBD一号機をちらりと見やり、目を細めた。  エターナは自室のチェアに身を沈め、右手でイワンの名が刻まれたチップを弄んでいた。瞳には不機嫌な色が浮かんでいる。  備え付けのチャイムが来訪者を告げる。外部監視モニターに第一小隊のブラッドが映る。エターナはデスクの一番上の引き出しにチップを放り込むと、入室の許可を出した。  「何か御用ですか、ブラッドさん」  無表情で入ってきたブラッドにそう言ったとき、エターナの顔にはいつも部下に見せるような微笑が戻っている。  ブラッドは挨拶も前置きもなしに言った。  「随分と思い切ったことをしたものだな」  上司に対して礼儀も遠慮もない態度。エターナは咎めることもなく、ただ首を傾げた。  「グランノヴァ砲のことですか?」  「たかが兵士二、三人を助けるために艦を危険に晒すとはな」  「仲間を助けるためですもの、そのぐらいは当然ですよ」  エターナは穏やかに答えた。ブラッドは鼻を鳴らした。  「ナンセンスだな。あんな無理な使い方をした以上、この艦はしばらく動けん。一人二人切り捨ててでも、切り札は温存しておくべきだったのではないか?」  「ブラッドさん」  不良生徒を諭す女教師のように、エターナはぴっと人差し指を立てた。  「いけませんよ、そのようなことを言っては。こんな戦争ごっこで人が死ぬなんて、馬鹿馬鹿しいです」  「戦争ごっこ、か」  ブラッドは陰険に笑い、意地の悪い瞳でエターナを見下ろした。  「いつまでそう言っていられるかな?」  「どういう意味です?」  エターナの首を傾げた。ブラッドはその視線を受け止めながら、  「スペースノイドの間で、反地球連合政府感情が高まりつつあることは知っているな?」  「ええ。今までにデスアーミーが出現した場所はほとんどが宇宙空間でしたからね。ですが、地球連合軍は逐一それに対処して被害を最小限に抑えているでしょう?」  「そうだ。しかし、近頃妙な噂が流れていてな」  ブラッドは面白そうに顎に手を当てる。  「デスアーミーというのは、近年力をつけてきたコロニー勢力を疲弊させるために地球連合政府が作り出した兵器だ、という」  エターナは困ったように苦笑した。  「地球政府陰謀説、ですか? ええと、ワタシは『な、なんだってー!?』とでも叫ぶべきなのでしょうか?」  「愚鈍な振りをするな」  ブラッドは不機嫌そうに目を鋭くする。  「キサマの猿芝居に付き合っている暇はない」  「……そうですか」  それまでの穏やかな表情から一転、エターナは鋭い目つきでブラッドをにらみつけた。  「では、さっさと本題に入りましょうか?」  ブラッドはニヤリと笑って頷いた。  「話が早くて助かるな」  「あなたに頭の悪いお飾り艦長の振りをしても仕方がないですからね」  「なら最初からそうしろ」  「せっかちな男の人は嫌われますよ?」  「どうでもいい話だ」  茶化すように微笑むエターナに対し、ブラッドは腹黒い笑みを隠そうともしない。互いに探り合うような視線を交わしながら、まずブラッドが口を開く。  「確かに、地球連合陰謀説など、本来ならば一笑に付される類の与太話に過ぎん」  「しかし、自分たちばかりが不利益を被って不満を抱えているコロニー住民にしてみれば、地球連合を糾弾する格好の材料となる、と」  「少なくとも、開戦した後の内部分裂を防ぐことはできるだろうな」  「しかし、国力の差はどうします? 現状でコロニー側が団結して地球連合に宣戦布告したところで、勝つ見込みが少ないのは火を見るより明らかでしょうに」  「そこで木星だ」  「木星、ですか」  エターナは口元に手を当てて考え込む。ブラッドは話を進めた。  「最近、木星公国の貴族どもに不穏な動きがあるそうだ」  「クォーツ家が議会の掌握に動いている、という?」  「ああ。それに、ビーンズどもも暗躍している」  ビーンズ、という単語に、エターナは不快げに眉を曇らせる。  「彼等の正式名称はコーディネイターです」  「フン、奴等など豆と大して変わらん。まあいい」  ブラッドはエターナの目をじっと見つめる。エターナも真っ向から見返した。  「私が聞きたいのはそれに関係したことだ」  「さて。お答えできればいいのですが」  「キサマが知らんはずはないさ」  「プライベートな情報にはお答えできませんよ? 年齢とかスリーサイズとか」  「そんなくだらんものに興味はない。ついでに言えばもう知っている」  「え」  口元を引きつらせるエターナのことは無視して、ブラッドは静かに切り出した。  「シス・ミットヴィルとEXAMシステムについて、知っていることを話してもらおうか?」  「コーディネイター、ですか?」  ニキが眉をひそめる。エルンストは頷いた。  「ああ。聞いたことはあるだろ?」  「確か、遺伝子を改良された人間だったか? 木星圏では既に二十年ほど前から実用化されているとかいう」  「ああ、思い出しました」  マークの言葉に、ニキが合点したように頷く。  今、三人はMSデッキの隅でシスについて話しているところだった。  「しかし、コーディネイターは精神か肉体、どこかに欠落がある場合が多い上に人道的に問題があるとされて、地球での研究は一切禁止されているはずだろう?」  「んなこと言ったって、隠れてやる奴はいるのさ」  マークの至極まともな意見に、エルンストは肩を竦めて答える。  「遺伝子自由に弄くって理想的な人間を、なんて、誰もが一度は思い描く夢のプランだからな」  「それでは、シスは」  「我が社の作り出したコーディネイター第一号って訳さ。しかも、あいつの施された『改良』ってのはちょいと特殊でな」  エルンストは、整備兵のチェックを受けているBD一号機をちらりと見やった。  「あいつは、EXAMシステムに対応できる人間を作る……それだけを目的として生み出されたんだ」  「EXAM……」  何かを思い出すように、マークが呟いた。  「あれは危険だ」  「そうだ。だから出来るだけ使うなって、シスには言ってある」  「あれには精神を支配する作用でもあるのか?」  「いや……だが、ニュータイプを感知すると襲いかかる、暴走っていう現象が確認されてるのは確かだ」  「暴走というのは建前だな」  エターナの説明を聞いて、ブラッドは反論した。  「あれは普通の兵士にニュータイプ並の戦闘能力を持たせる……いや、ニュータイプを撃破させるために作られたシステムだ」  「よくご存知で」  エターナは呆れたようにため息を吐いた。ブラッドが続ける。  「本社の連中は来る戦争と、多数のニュータイプを有する木星側の優位を見越して、それに対抗できる商品を開発しようとしているんだろう? 今この隊で試験中の機体や、レイチェル・ランサムのような強化人間もその一つという訳だ」  「私が言うまでもなくご存知じゃありませんか」  「今までは推論に過ぎなかった。要するに確認を取っているのだよ」  悪びれることなく、かと言って自慢げでもなく、むしろ淡々とブラッドは言う。  「さて、私が本当に聞きたいのはここからだ」  「嫌味なぐらい長い前置きでしたね」  「芝居は好きな方でな」  「さっき嫌いだと」  「猿芝居はな」  「そうですか」  「正直、貴様の演技は大根だ。見るに耐えん」  「余計なことは言わなくていいですから」  エターナのこめかみに青筋が立つ。ブラッドは気にせず、ゆっくりと言った。  「キサマが不安定な武器を使ってまで部下を救った理由……それは、奴等が社の有力商品だからか?」  「商品……」  ニキが不快げに眉根を寄せる。エルンストは勘弁してくれと言うように手を振った。  「もちろん俺はそうは思っちゃいないがね」  「当たり前です」  「だが、シスやレイチェルの能力を研究している奴等はそうは思っちゃいない」  エルンストはため息を吐いた。  「EXAMシステム関連のスタン・ブルーディ、強化人間関連のハワード・レクスラー……どっちも最低の人でなしだって話だ」  「ああ。その二人の噂は俺も聞いたことがあるな」  マークも頷き、面白くなさそうな顔をした。  「最低最悪の利己的な冷血漢、技術の進歩のためには人一人犠牲にすることなどなんとも思っちゃいないとか」  「そうさ。シスやレイチェル、それにエリスはそんな奴等の研究対象になってんだ。特にハワードはサドの気があるって話だ。奴の研究室に送られて帰ってきた人間はいないとさえ言われてる。用済みになった実験材料を、奴個人の楽しみで徹底的にいたぶった挙句、ぶっ壊しちまうそうだ。良くて廃人、悪くてバラバラにされてゴミ袋行きだとよ」  「なっ……」  ニキが絶句する。マークも一瞬言葉を失ったが、  「そんな危険人物が何故黙認されている?」  「科学者としては優秀だからさ。ウチの会社の力は分かるだろ? 奴の性癖一つ隠すのなんて簡単な話なんだろうよ」  「……一つ、聞いてもいいですか?」  ニキが今ひとつ納得いかない様子で訊ねる。  「何故そんな、社の暗部に関わるような話をあなたが知っているのです?」  「そうだな。前半はともかく後半の話は俺も聞いたことがない」  マークも同意する。エルンストは苦々しげに視線を逸らした。  「俺だって、いろいろ考えた。シスやエリスたちが、あんなに苦しみながらもこの会社辞められない理由ってのは何なのか、とかな。それでちょっと調べてる内に、情報通の奴と接触できたのさ」  戦闘終了後、シスはすぐに自室に戻り、専用の端末を用いてBD一号機やEXAMの開発者であるスタン・ブルーディに連絡を取っていた。戦闘の結果報告。シスの義務だ。  「フン……デスアーミー十六機撃墜か。大した戦果だな、オイ?」  端末に映る、どこか不機嫌そうなスタンの言葉に、シスは無言で俯いた。賞賛されているにも関わらず、その表情は暗い。  「やはり使えるじゃないか、俺のブルーは……NT研のクソ野郎ども、見てやがれ……対NT用の製品に採用されるのは俺のブルーなんだ……てめぇらのエセニュータイプなんぞに負ける訳がねぇんだ……」  ぶつぶつと、誰に向けてともなく呟くスタン。疲労のためか妄執のためか、頬がこけて眼窩が落ち窪んだ顔は、さながら幽鬼のようでもあった。  シスはそれを上目遣いに窺いながら、何度も口を開きかけて躊躇っていたが、おそるおそるか細い声を出した。  「あの、所長」  「……何だ?」  不機嫌な様子を隠そうともせず、スタンがギラギラした目でシスを睨みつける。  「お食事を……きちんと取られていますか?」  スタンの顔が、火がついたように紅潮した。怒りの色。シスは怯えて顔を伏せた。  「おいシス」  「はい」  「お前は何だ? え? お前は一体何様だ? 言ってみろ、おい。お前の生みの親であるこの俺に言ってみろ、おい」  モニター越しに突き刺さる憤怒の視線。罵倒の痛みに耐えながら、シスは必死で声を振り絞った。  「ワタシは……スタン・ブルーディ博士に生み出された、EXAMシステムを正常に起動させるためのパーツ……戦闘人形……です」  「お前の役目は何だ?」  「EXAMシステム及び搭載機であるブルーディスティニー一号機を実戦で使用し……可能な限りのデータを取得すること……です」  「それに勝る役目がお前にあるのか? お前がそれ以外のことをする必要はあるのか? え?」  「……ありません」  「そうだ。その通りだよシス・ミットヴィル。お前は人形だ。EXAMの一部として細胞の一欠けらも残らないほどに戦い抜いて、俺にデータを提供するためだけに作られた、出来損ないの戦闘人形だ。分かるか? 分かるよな? 分かってるんだよな?」  スタンの追及に、俯いていたシスがかすかに頷いた。それに少しは満足した様子で、スタンが鼻を鳴らす。  「そうだ、それでいいんだよ。お前はEXAMでより多くの敵をぶっ壊すことだけを考えてりゃいいんだ。俺の健康状態なんぞ気にするんじゃねえ。そこんとこ分かっとけよ」  「……ですが」  「何だ? まだ何かあるのか? それとも俺がメシを抜くのがそんなに気になるのか? ああいや、そりゃ気になるよなぁ?」  スタンは意地悪く唇を吊り上げる。瞳にどす黒い色が渦巻いた。  「俺がぶっ倒れて研究が中止されりゃあ、お前は晴れて自由の身だもんなぁ?」  「ち、違います、ワタシは……!」  「うるせぇ! てめぇの考えなんて俺にはお見通しなんだよクズが、ゴミが、ボロ人形が……」  スタンはじょじょに呼吸を荒くし、追い詰められた表情で頭を掻き毟り始める。  「クソがっ……どいつもこいつも俺をイライラさせやがる……無能なくせにムカつくんだよ愚鈍な阿呆どもがぁ……」  「シスよぉ、テメェがどう思ってんのかは知らねぇが、俺はテメェのデータを他の奴に渡す気はねぇんだよ。特にハワードの変態ジジイにはなぁ……へへへ、俺が死んだらブルーとお前自身につけてる自爆装置が爆発するんだ……」  「……存じております」  痛みをこらえるように目を閉じ、シスは自分の胸元にそっと手を置く。  「ふへへ、俺ぁ一人じゃ死なねぇぞ……くたばるときゃあ全員道連れだ……ひっ、ひひっ、ひひひひ……」  正気を失ったように笑い続けるスタンの姿を、シスの哀しげな瞳だけがじっと見つめている。やがてスタンはぴたりと笑うのを止めると、  「シス、もっと積極的にEXAMを使って、出来るだけ多くのデータを俺に送れ。いいな?」  「……ですが、暴走の危険を考えると……そのせいで、今日は同士討ちを……」  「いいじゃねぇか……相手が化け物なら、俺のブルーが最強の兵器だってことを証明するにはちょうどいい……ああそうだ」  スタンはいいことを思いついたというように、ニヤリと笑った。  「シス、お前今度の戦闘で暴走した振りしてハワードのところの豚を料理しろ」  「は……?」  一瞬眉根を寄せたシスが、スタンが言いたいことに気付いて目を見開いた。  「まさか……レイチェルを殺せと!?」  「豚の名前なんかいちいち覚えてねぇよ。そうだよ、奴等は豚なんだよ……強化人間? ハッ、ハワードの家畜が大層な名前をもらいやがって、ムカツクんだよ……」  何かに憑かれたように喋り続けるスタンの顔を見ながら、シスは青ざめて立ち尽くしていた。  「所長……本気で、仲間を討てと?」  「仲間? 仲間と言ったかお前。いっぱしに人間気取りかよお前。さっきも言ったろボケ。お前は何も考えないでいいからEXAMのデータを取り捲ってこっちに寄越せばいいんだよ。お前は俺の指示に従うだけの出来の悪い人形なんだよ。そうだろ?」  「ですが……」  「言っとくがな」  スタンはシスの戸惑いなど歯牙にもかけず、冷徹に言う。  「お前がもしも躊躇ったりしくじったりしたら、俺は遠慮なくブルーを爆破するぞ。それも、艦に置いてあるときにな」  「……!」  「ひひっ、見ものだなぁオイ。出来損ないの人形がちょっと失敗しただけでGジェネレーションの最新兵器が全部吹き飛ぶんだ……想像するだけで涎が出るぜぇ……」  スタンはデスクを叩いて高笑いし始めた。唾が飛んでモニターを濡らす。シスは唇を噛み締めた。拳を握り締め、瞳をぎゅっと閉じる。  思考は一瞬に過ぎなかった。シスは静かに目を開き、極力感情を排除した平坦な声で、スタンに告げた。  「分かりました。ワタシは、レイチェル・ランサムを殺します」  スタンはそれを聞いて笑いを収め、満足げに頷いた。  「そうだ、それでいいんだ。それでこその戦闘人形だ。なぁ?」  「……はい」  「ああ、これでようやく目障りな奴がいなくなるぜ……へへっ、ハワードのジジイの呆然とした顔が目に浮かぶなぁ……」  おかしくてたまらないという表情で呟き続けるスタンを、シスはただ無言で見守っていた。  「なぁに、工作は任せとけ。どうなったって上は調べやしねぇよ。どうせハワードたちが失敗したら、会社は俺のブルーを採用するしかねぇんだからよぉ。ああ、安心したら急に腹が減ってきやがったぜ……じゃあなシス、うまくやれよ」  一方的にそう言い残し、スタンは通信を打ち切った。静寂に包まれる室内に、シスが一人、無表情に立ち尽くす。  それでも、スタンが食事を取るらしいことに、シスは少しだけほっとしていた。