【ある姫君の暴走】 692氏  「これからお話するのは、あるバイクの物語よ」  「バイク……ですか」  少し興味を惹かれたように、ネリィが呟く。ミリアムは頷き、  「でも、このバイクは普通のバイクとは少し違ってね。いわゆる族車ってやつだったんだけど」  「族車?」  聞き慣れない単語に、ジュナスが首を傾げる。逆に、隣のネリィは目を輝かせて、  「暴走族、と一般的に総称される者達が乗りこなしている、法に違反した改造を施した車両のことですわ」  「ぼーそーぞく?」  カチュアが眉をひそめると、ネリィはすかさずそちらに向き直り、  「読んで字の如く、車両を使った暴走行為を繰り返す集団のことですわ。最もそれは表面的かつ浅はかな見方で、本当はただ純粋にスピードの限界を追い求めて走り続ける熱い魂を持った集団なんですけれど」  一人熱弁を振るうネリィに、さすがのカチュアも気圧されたのか声も出ない。横で聞いていたエルンストが渋い顔をして、  「そうか? 奴等はそんな大した連中じゃないだろ。音なしで動くエレカに、わざわざ排気音鳴らすスピーカーまでくっつけて騒音撒き散らすわ、誰彼構わず喧嘩吹っかけるわ、いいとこ無しじゃないか」  ネリィは憤然とエルンストを振り返り、  「そんな何の誇りも持っていないような低俗な連中と一緒にしてほしくないですわね。いいですこと、我々走り屋チーム『離死手亜』は常に最速を追い求める……」  言いかけて、ネリィはハッと口を塞ぐ。そしてぎこちない作り笑いを浮かべて、  「いえ、何でもありませんわ。さ、ミリアム。話を続けてくださいな」  取り繕うように言いつつ、ネリィは元の席に戻る。ミリアムは釈然としない表情ながらも、  「……まあいいわ。で、今回話すバイクはその族車なのよ。それも、ネリィさんが言ったみたいな、本物の走り屋が乗ってた、ね」  「走り屋、ねぇ」  エルンストがうさんくさそうに言う。  「正直、人間が宇宙に上がったってのに、今更バイクで街中走り回るってのも何だかなぁ」  「でも、そういう人たちってどこのコロニーにもいるでしょう? 人間、時代が変わってもやることは大して変わらないってことですよ」  ミリアムが言うと、エルンストも「まあ、な」と頷いた。ミリアムは続ける。  「で、その人もあるコロニーで、暴走族の総長……まあ、要するにリーダーのことね。それをやってた訳なんだけど、さっきも言ったとおり走り屋さんだったから、他のチームとの抗争とかそういうのには全然興味がなくて、ただ純粋に走ることを愛してたのよ」  「いいですわね……何て素敵な方なんでしょう」  うっとりと、ネリィが呟く。ミリアムは肩を竦めて、  「ところが、その人も結局はゴタゴタに巻き込まれちゃってね。最後は事故に見せかけて殺されちゃったのよ」  「すごい、サスペンスだ」  「違うと思うぞ」  カチュアとエルンストのやり取りを横目に、ミリアムはにやりと笑い、  「それで、ここからが怪談なんだけど……その人が乗ってたバイク、事故の翌日に現場から消えうせててね。仲間の人が不思議に思って探したんだけど、結局見つからなかったの」  「誰かが持ってっちゃったんじゃないのか?」  ジュナスが至極まっとうなことを言う。ミリアムは頷き、  「うん。誰もがそう考えたの。ところが数日後、ある事件が起こってね」  「事件?」  「そのコロニーに存在してた暴走族のあるチーム員が、何者かによって轢き殺されたのよ。調査の結果、そのチーム員は死の直前まで何かから逃げ回ってたことが明らかになってね。さらに、その死に顔はまるで悪魔にでも襲われたかのような、強い恐怖に塗りつぶされていたんだって。で、それから数週間ほどの間、同じような事件が何件も続いてね」  「……話のパターンから考えりゃ、そのバイクに乗った走り屋の亡霊が、夜な夜な自分を殺した奴等を轢き殺してたってとこか?」  エルンストが呆れたように言う。ところがミリアムは「ちっちっち」と指を振り、  「甘いですね、隊長さん。かなり近いですけど」  「じゃあ何だ?」  「バイクですよ」  「……バイクがひとりでに動いて、暴走族を轢き殺していた?」  うさんくさそうにエルンストが言うと、ミリアムは不満げに口を尖らせ、  「オチをばらさないでくださいよ」  「いや、だってなぁ……」  「もう。あ、でも、さすがの隊長さんでも、そのコロニーがどこかを聞いたらびっくりしますよ」  エルンストは少し考えて、  「……まさか、ここか?」  「正解!」  「ヒッ!」  ミリアムの声と、誰かの悲鳴が重なった。言うまでもなく、ネリィのものである。ミリアムが楽しそうに、  「それで、そのバイクは、今でも主人の仇を求めて、このコロニーのどこかを夜な夜な彷徨っているということです。とりあえず、会った人は全員轢き殺してるそうなので、皆さん気をつけてくださいね」  と、締めくくった。後半を聞いただけでネリィの顔から血の気が引いたが、それ以外の者達は皆どことなく困ったような表情で顔を見合わせた。  「あの、今のって何が怖かったんでしょう?」  「いや、正直さっぱり分からん。っつーか、ワッパ全盛のこの時代にバイクはねぇだろ、バイクは」  ショウとエルンストの会話である。ミリアムは口を尖らせて周囲を見回していたが、ジュナスが何か考え込んでいるのを見つけ、  「ジュナス君、どうしたの? ちょっとは怖かった?」  「え? いやさ」  ジュナスは感心した風に何度か頷き、  「走り屋さんはよっぽどそのバイクを大切にしてたんだろうなぁって思ってさ。だからバイクも仇討ちしようと思った訳だろ?」  と聞いてきた。ミリアムは複雑な表情で、  「えーと……うん、そうなんじゃない?」  「ケッ、馬鹿馬鹿しい」  吐き捨てたのはラナロウである。  「バイクが自分で勝手に動く訳ねぇだろうが」  「え、だって幽霊なんだろ?」  ジュナスがきょとんとした顔で言う。ラナロウは馬鹿にするように鼻を鳴らし、  「そんなもんがいる訳ねえだろ? 大体こいつが言ってるって時点でうさんくせぇんだよ」  と、ミリアムを指差した。ミリアムはむっとして、  「何で私が言ってるからうさんくさいってことになるのよ」  「まあ、確かに技術畑の人間がオカルト好きってのも何かおかしい気はするけどな」  エルンストが苦笑気味に言うと、ミリアムは澄ました顔で、  「あら、科学と宗教は両立すると思いますよ? 大体、幽霊の存在を完璧に否定できるほど、今の科学は進んでませんよ」  「だからって存在するって証拠もないと思うんだが」  「幽霊はいるって思った方が、夢があるじゃありませんか」  ミリアムは笑顔でそう言った。ラナロウが「へっ」と笑い、  「バカ女が」  ミリアムはきっとラナロウを睨みつけ、  「あなたにバカって言われるのだけは心外だわ!」  「どういう意味だコラ!?」  ラナロウも激昂して立ち上がる。そして始まる口喧嘩。最早慣れているのか、止める者は一人もいない。  「……ねぇシス、シスは幽霊っていると思う?」  飛び交う罵声に邪魔されながらも、ショウがシスに問いかけた。わずかな間を置いて、シスは小さく頷いた。ショウは少し驚いて、  「そうなんだ。何だか、意外だな」  「どうして?」  「シスって、そういうの信じてなさそうだから」  「そう」  「うん……あの、どうして、幽霊はいると思うの?」  少しためらいがちに、ショウが聞く。シスは思い出すように目を閉じ、呟くように言った。  「……ときどき、コックピットの中で声が聞こえるの」  「え……コックピットって、ブルーディスティニーの?」  「そう。だから……」  「それが、幽霊だって?」  「多分」  と、シスは静かに頷いた。ショウは夢でも見ているような心地で、  「そうか……ブルーディスティニーの中には、誰かがいるんだ……」  シスはショウをちらりと見やり、  「……信じるの?」  「本当なんでしょ?」  「うん」  「シスがそう言うのなら、きっと本当にいるんだよ」  ショウはあどけなく笑ったあと、急に心配そうな顔をして、  「でも、それって怖くない?」  「ううん。怖いとか、そういうのはないの」  「そうなんだ……良かった」  「……うん」  どことなくゆったりと話す二人を、ノーランが微笑ましげに見つめている。  ラナロウとミリアムの罵り合いと言うか喚き合いはますます熱を増していたが、そのすぐ近くで今にも死にそうな顔をしている者もいる。  「……なあネリィ」  「ひょわぁっ!?」  ジュナスが隣でガタガタ震えて青ざめているネリィに声をかけると、彼女は素っ頓狂な悲鳴を上げてベンチから飛び上がった。  「ななななな、なんですの突然!? この無礼者! 驚かさないでくださいまし!」  「ご、ごめん」  恐ろしいほどに必死な形相のネリィに、ジュナスは気圧されたように謝ってしまう。ネリィは何とか気息を落ち着けると、  「そ、それで、この私に何か御用でしてジュナスさん?」  と、妙に早口な震え声で言った。ジュナスは少し言いにくそうに、  「いや……大丈夫かなぁと思ってさ」  「な、何がですの?」  本人は余裕の表情を作っているつもりらしいが、ネリィの顔は青ざめている上に思い切り引きつっていた。ジュナスは困った様子で、  「なぁ、怖いんなら無理しなくても」  「怖い!? 誰が!?」  やたらと力んで、ネリィが言う。  「おほほほほ、ジョークがお下手ですのねジュナス。そんなことでは社交界で相手にされませんわよ?」  「いや、そんなん知らないけどさ」  「先ほども申しましたでしょう? 霊は全てプラズマです。動こうが人を轢き殺そうが、全てプラズマの仕業なのです。そういえばライノ何たらというモビルアーマーがプラズマで壊れたという話も」  「ああうん、怖くないんならいいんだけどさ。多分まだまだ話続くと思うし」  ジュナスはラナロウとミリアムを指差す。二人の口論は「これからずっと怖い話をして、どちらが先に根を上げるか勝負する」という感じに落ち着きそうなところだった。  「ずっと……怖い話……」  呆然と、ネリィが呟く。ジュナスが苦笑気味に、  「ほら、やっぱさ、怖いんなら無理しなくても」  「いいえ! だ、大丈夫ですわ」  「えー、でもさ」  「しつこいですわねあなたも! この私がお化けなんかを怖がる訳がないと」  そのとき、唐突に照明が消えて、周囲が真っ暗になった。途端に絹を裂くような悲鳴が響き、一瞬の間を置いて鈍い音が聞こえてくる。  「うわ、何だ?」  「停電か?」  「誰か非常灯つけろよ」  「っつーか、今何か変な音が」  ざわざわと騒ぎ出す一同。幸い、照明が消えていたのは数秒だった。電気がつくと同時に、スピーカーから声が流れ出す。  「あー、すまんかったな皆の衆、整備班長のダイスじゃ。今の停電はウチの阿呆が勝手に変なとこいじったせいで」  「最新式の回路のテストをしていたのであります!」  「お前は黙っとれ! まあとにかく、艦の故障とかではないから安心しとくれ」  「っていうかミンちゃん、こんな時代遅れの回路どっから手に入れたんだい?」  「町で会ったおじさんがくれたんであります。『これでガンダムはもっと戦える』って言って『地球連合ばんざーい!』って楽しそうにしてたのでいい人だと」  「黙れと言っとろうが! いっそ階段落ちしてみるか!?」  ダイスの怒声を最後に、放送は聞こえなくなった。「やれやれ」と、エルンストがため息を吐く。  「何をやってんだかなぁ」  「ホントにね」  苦笑したノーランが、「あれ」と呟き、  「ジュナスはどこ行ったんだい?」  ジュナスがソファから消えていた。全員が周囲を見回す。そして、ソファの傍で頭を抱えてうずくまっているネリィと、その向こう側の壁に頭をぶつけて気絶しているジュナスを発見したのだった。