【星のきせき】190氏  アーガマは言いがたい沈黙に覆われていた。ヘリオポリスは崩壊の憂き目に会い、大量の死者を出した。民間人が大半である。戦争の時代だからと言いはするが、しかしだからと言ってその死を悼まないのは自らの感性に反する事だと全ての乗組員は思っていることだろう。結果としてこの状況があるわけだと、ニキ・テイラーは考えていた。 「結局のところ。あの機体は何のために出現したのでしょうね」  こつこつと机を叩く。アークエンジェルはなんとか危機を脱出して今はアーガマと共に航行しているが、モビルスーツ運用艦としては実に貧相な内情を露呈していた。運用を想定していた五機のXナンバーのうち四機が奪取され、残った一機はまともに乗りこなせるのが民間人の少年だけという有様。しかも乗組員は技術士官の艦長を筆頭に錬度の高いとは言いがたい後方支援の軍人ばかり。幸いなのは残った一機が汎用性に富むストライクであることと、連邦のトップエースであるフラガ少尉がガンバレル装備型のメビウスという機動兵器としては地球連邦最大の戦力で参加していると言う事実ぐらいか。  目を転じれば、むっつりと無煙パイプを燻らせているティーゲル艦長が、ヘリオポリスでの戦闘情報をずっと眺めているイェーガー戦時大尉が居り、 「聞いていますか?」 「ん!? んん」 「ああ? うーん」  聞いていなかった。ニキは今のは切り出すタイミングが悪かったと思い、今度からはもっと注目が集まる時にやろうと心に留意した。 「あの白い機体です。地球連邦、ザフト両軍のデータベースには記載されていなかった機体、しかし戦闘終了後この艦に突如記載された、あの悪魔のような機体――トールギス」 「トールギス。それがあの機体の名か」 「如何にもその通り」  ラウ・ル・クルーゼは皮肉げな笑いを仮面から露出した口元に浮かべ、目の前に立つ軍人を見た。男装の麗人と呼ぶべきか。装飾の多い軍服は遥か昔の貴族のようで、比較的シンプルな軍服のザフトでは目立つ事この上ない。それに反するかのように彼女の機体は真っ白で、しかし他のMSよりも二回りは巨大なその姿は異界の神像にも見て取れる。そしてその戦闘力は強力の一言。  まるで全ての戦場を駆け抜けてきたような顔を、クルーゼは仮面の奥で見た。 「しかし解せんな。あの状況のなか、なぜ我々に味方したのかね?」 「簡単な話だ。私はどちら側という基準ではなく、誰にという基準で戦うからだ。貴方がたに付いたのは、シェルド・フォーリーと言う兵士がいたからだと留意するといい」 「では、シェルドに感謝せねばならんな。彼がいなければ君はこちらに加担せず、作戦は失敗に終わっていたことだろう」 「面妖な。貴官ほどの人物が、失敗など」 「事実だとも、エルフリーデ・シュルツ。君の愛機はそれほどまでに恐ろしい」  そう。恐るべきはあの圧倒的な戦闘力。コーディネーターですら失神するような機動戦闘を前提とした、歯車仕掛けの騎士。戦慄することに、格納庫からの報告によればあれは既に耐久限界を超え、いつ自壊してもおかしくない状態だと言う。  それを駆る、この女の、目。死を孕みながらなおいっそう進まんとする、この絶望的に強靭な目。戦い続ける戦士。  クルーゼは立ち上がり、執務机を迂回してシュルツの前に立った。コーディネーターの平均身長を上回るクルーゼだが、シュルツの目線は同じ位置にある。  ――トールギス、始まりの機体、NEOの螺旋を相克するひとすじ。やはり私の前に立ちはだかるか、君たちは。 「要求を聞こう。君は何が欲しい?」 「戦いの場を。戦いの刻を。そして戦うべき朋を。私とトールギスはその為に此処に来た」 「望みをかなえよう、シュルツ。ヴェサリウス、クルーゼ隊は君を歓迎する」 「感謝の極み」 「ジュナスー、ジュナスゥー、ジュナスはどーこへいったー?」  通路から聞こえてくる声はだんだんと大きくなり、ついに格納庫の端まで響きだす。カル・クロサワはちらりと声の主をみやり、 「羨ましいぜ、兄弟」 「変わってやるとは言わない。ただ、少し労わっても罰は当たらないと思うんだがどうよ」 「それは何か、遠まわしに自慢しているのか。次の戦闘でコックピットハッチが急に全開になってもいいよな?」 「止めろケイさんに言いつけるぞ」  ブリッツの電子機器を操縦席で弄っていたジュナスはため息と共に顔を上げた。反対側で作業をしていたクロサワはカバーを閉じると一息吐き、首を回しながらキャットウォークへ這い出る。 「とりあえず戦闘データの刷り合わせは終わった。お前が無茶な動きをするから、間接部が磨耗してしょうがない。ブリッツのミラージュコロイドが泣くぞ」 「仕方ないだろう? 射撃戦をしようにも、コイツのビームライフルじゃ火力不足なんだ」  だから格闘戦か、とクロサワは曖昧に頷き、 「とりあえずは、今のうちに左腕無しでも戦えるようにしとけよ。何時敵襲があるかわかんないし」  ああ、と答えて、ジェナスは切り落とされたブリッツの左腕を思った。  あの時――。  ブリッツは大型ミサイルの直撃を受けた。だが、フェイズシフト装甲、物理ダメージをほぼ完全に軽減する特殊装甲が、ジュナスとブリッツを守ったのだ。衝撃の余波は流石に殺しきれずにブリッツは倒れ付したが、しかし戦闘力は失われていなかった。  戦意も。  スラスターを全開にして、白い機体――トールギスという名らしい――に、再び切りかかった。トリケロスビームサーベルは完全に死角からトールギスを両断する剣筋だったはずなのに、しかしトールギスは冗談のような速度で此方に身を向け、圧倒的な勢いでブリッツの左腕を斬り飛ばした。左腕。攻防一体型トリケロスシステムを装備した右腕ではなく。 『――その意気や好し。だが、迷いに溺れたその剣で我が剣技を受けようなど』  暴風のような衝撃がジュナスを襲う。何時に無く鋭敏に研ぎ澄まされた感覚は、それがトールギスの化け物じみた移動速度が生み出したことをがなりたてる。だからどうした。どうしろというのだ。気迫に圧倒され指一本動かすことの出来ないおれに、どうしろというのだ、ジュナス・リアム! 『侮辱である、閃光の少年よッ』  衝撃。一瞬に満たない間に背後に回ったトールギスのひと蹴りが、ブリッツを激震させ機能停止へと追い込む。 『手前えッ』  豪速で接近してきたエルンストが、ライフルとバルカンを乱射しながらトールギスに向かう。トールギスはその弾幕を全て静止状態から残像が残るような速度で回避する。伝説的な元ジャンク屋、猟犬の異名を持つエルンエストの驚愕に詰まった悲鳴が、通信器から漏れた。 『……いまだ譲ちゃんッ』  がくんとストライクの進路が変わる。変わって飛び出してきたのは白と青のツートンカラー、Xナンバーの雛形、デュエル二号、 『ジュナスをかえせぇぇ』  クレア・ヒースロー。普段は能天気で楽天家な少女は底冷えするような叫びとともにトールギスへ、いや、棺桶と化したブリッツ、ジュナスへ飛ぶ。トールギスはシールドから抜き放った青白い光線剣を瞬時にひらめかせ、 『うわあああ!!』 『――ほう』  しかし、デュエルは退かない。滅茶苦茶に振り回したと思えたビームサーベルが、果たして飛燕を落とすかのようなトールギスの一刀と切り結んだ。偶然で防げる一閃ではない。 『見事。そのたぐいまれな直感、さては貴公がうわさのニュータイプか』 『うるさいうるさい! ジュナス、ジュナス!!』  切羽詰った少女の声に、しかし少年はこたえない。クレアは自分の心臓が凍りつくような感覚に怯え、竦みそうになる全身を叱咤するように歯をかみ合わせながら、光をなくしたブリッツを抱え上げようとする。  そこに、もう一人の少年は割り込んだ。重斬剣を振り下ろし、反射的にブリッツと離れたその間に叩き付ける。  大型ミサイルの架台を放棄したジン。その意識はデュアルではなく、ブリッツに向いていた。  たった、一瞬。ジェナスは気絶していたし、シェルドはブリッツの乗り手が誰だかわかるはずも無い。なのに彼らは、  ――敵だ。  そう思った。 『邪魔するなぁ?!』  クレアは容赦しない。サーベルをもう一本抜いて両手に持ち、我武者羅な勢いで切りかかってくる。シェルドにそれを受けきるすべは無かった。直剣を真っ二つに叩き切られた所で、ジンを後退させる。クレアは飛びづさるジンに見向きもしないでブリッツを回収すると。そのままの勢いで撤退していった。ストライクの援護射撃が、コロニーの空を翔る。  ジェナスの記憶はトールギスに蹴り飛ばされたところで途切れている。目を覚ましたのは全て終わった後の医務室であり、左腕を失い機能停止状態のブリッツとひたすらに呼びかけるクレアのデュエルを庇いながらほうほうの態で離脱したエルンストが恩着せがましくいかに自分が必死に撤退したかを身振り手振りを交えて説明し、クレア・ヒースローが如何に必死な様子で自分に呼びかけていたのかを臨場感たっぷりに説明し、一通り喋ると満足したのか帰っていった。心配をかけたのだ、とぼんやり思い、次いで壁を突き破らんばかりの勢いでやってきたクレア・ヒースローにもみくちゃにされて、やはり心配をかけたのだ、と身にしみた。  生きていた。それだけで十分な成果なのだろう。月面を本拠とするらしいマーク・ギルダーという謎の人物が提供するこの戦艦アーガマを筆頭に、この世界では最新鋭の筈のモビルスーツと言う兵器、不可思議な記憶で繋がったクルー、なによりとって付けたような戦争と言う戦いの場が、まるで自分を誘うかのように一つになって死という実態を顕そうとしている、そんな感覚が浮かび上がる。だがそれこそが自分を戦いに駆り立てる何かを内包しているのだと、ジュナスにはおぼろげに理解していた。  ジュナス・リアムを戦いへと駆り立てる、その本当の理由。  トールギスの乗り手がいった。閃光の少年。その言葉はジュナスを強く揺さぶる。 「ジュナス、おいジュナス」 「あ? ああ」 「しっかりしろよ、兄弟。今動けるのは、お前と旦那とクレアだけなんだぜ?」  カル・クロサワの言葉は真実ではない。クレア・ヒースローと同じく訓練中であったエリス・クロードは今猛烈な勢いで全修史を終わらせている最中であるし、作戦参謀であるニキ・テイラーは十分なMS戦闘訓練を受けているはずである。現在の状況で彼女等をMS戦闘員として運用しないのは、ひとえに整備能力の限界があるからで、整備班長のケイ・ニムロッドやカル・クロサワの働きは目覚しいものがあるが、そもそも基本的な人手が足りていないため、修理整備は一小隊が限界であった。格納庫にある幾つかの機体は、それゆえに今現在起動することは無い。それが正しい判断なのかどうか、ジュナスには解らない。もとよりヘリオポリスへは搭乗員の補充へ立ち寄るだけの筈であった。本当にそれだけが目的だったのか疑問だが、ただ、マーク・ギルダーと言う人物の考えは理解できるような気がした。共感と言うしかない。彼は、何かを待っていたのだ。  ――ザフトの襲撃と、Xナンバーの強奪を。いや違う。トールギス。 「ここにいたのかジュナァーッス」 「うおおクレア危ない危ない落ちる落ちる俺が落ちる」 クロサワを押し飛ばすように飛び込んできた少女に度肝を抜かれながらジュナスは引きつった笑いをした。無重力だから大丈夫だよなぁ。 「ね、ほんとに寝てなくて大丈夫? いたいとこない? 今なら添い寝してあげてもいいかもよっ」  クレアとジュナスの仲は、ジュナスにはなんとも言い難い関係である。先に就任したのはジュナスだったが、割と押しに弱い彼は超強引当たって砕けろ主義な少女に滅法弱く、エルンストに言わせるならば『尻に敷かれている』状態であった。同時期に就任したエリス・クロードも清楚な振りして割と独り善がりなところがあるうえ、地球だかにいったというレイチェル・ラムサスも同じような性格をしていると人づてに聞いて、ジュナスは内心かしまし三羽烏と呼んでいた。ちなみにクロサワは暴走三人娘と呼んでいたらしい。古臭いなぁと言うとお前の前には鏡があるのかと言い返された。殴り合いに発展したのは言うまでも無い。  つまりジュナスはクレアのことを、好いてはいるが、なんだかなぁ、おれ駄目だなぁ、と内心で思いつつ、どうしようもないのでずっとそのままであった。 「……もう大丈夫だよ。それに、いまは僕でも貴重な戦力なんだ。休んでなんかいられないよ」 「それは、うう、そうなんだけどさ。でもじゃあ、ちょっとでも変だと思ったらちゃんと休むのよ!? 添い寝してあげちゃうから!」 「な、なんで君はひとがわざわざスルーしてるのに添い寝添い寝いうのかなぁ!?」 「えー? あ、わかった、いま変なこと考えたでしょ?! うわぁーい私そんなつもりじゃないのにっ。ジュナスの外道! 鬼畜!」 「あいも変わらずいきなり飛ぶね本当にっ。大丈夫だから大丈夫だから」 「えへへ……。でも、ほんとーに、ね。ジュナスがまたあんな事になったら、私、結構」  クレアは尻すぼみに言葉を濁し、「そんじゃ、わたしも整備しようかなっ」ぴゃっと飛び出していった。ジュナスは訳も分からずあっけにとられ、恨めしそうに漂ってくるクロサワのドロップキックを顔面にもろ食らうことになった。  マーク・ギルダーは夢を見る。  死を朋にする騎士は時空を超え、始まりの少年は死の先へ逝く。閃光のひとすじはいまだ世界を見ず、覚醒する少女達はまどろみのなかを眠りこける。  世界は最初の震えを得た。安穏の揺り籠は崩壊し、魂の戦場がゆるゆるとその天蓋を覆ってゆく。  安息だけをすごせたら、どんなに幸せなことだろう。幸福のうちに生まれれば、それはどんなに暖かいことだろう。  ――俺にそれだけの力があったならば。世界を沈める力があれば。  もう、叶うことの無い願い。世界を超える為に駆け抜けたその瞬間。あのとき俺に力があれば。いっそ、全てを受け入れられるだけの力があったならば。  ――それも、まぼろしなのか、フェニックス。お前はまた世界を滅ぼすのか。  NEOの軌跡。二つの螺旋。  フェニックスの、先を逝くもの。  マーク・ギルダーは夢を見る。月の海に抱かれて、かつての世界を振り返り。  それを、ダブルエックスは見守っている。  ガンダムだけが、見守っている。 To be a next…