ぱちん――-ぱき、ぱきん――-。  大木の麓にかすかな破裂音を立て、炎が揺れる。  その紅さに照らされ横たわる女が、かすかに身じろぎしたように見えた。  傍らで胡座をかく男の目が僅かに開き、そちらに一瞥をくれる。  そして男は女が変わらず寝息をたてているのを確かめると、再び静かに瞑目した。 And the night has come... 「ん……」  エルフリーデ・シュルツが目を覚ましたとき、ケイン・ダナートはしばしばそうしているようにその両の目を瞑っていた。眠っているのか、と思えないでもなかったが、間もなく片目を開いて彼女の方を眺めたために、それが思い違いだと知れた。  慣れない姿勢で眠っていたために強張る四肢に不快感を覚えながら、エルフリーデは上体を起こす。  目の前には時折かすかな破裂音を立てる焚き火がある。彼女が眠る前に目にしたものよりも幾分か小さくなっているようだったが、その足元にはまだ生木の色を残した薪が横たわっており、その寿命が短くなっているわけではないと解る。  ケインの傍らには先刻より目に見えて小さくなった小枝の山があった。 「すまない」  彼が睡眠をとらずに火の番と見張りとをやっていたことを改めて確認したエルフリーデの口から、そんな言葉が出た。  しかしケインは興味なさげに再び目を閉じ、淡々と答える。 「まだ夜明けまでには時間がある。眠っておれ」 「いや――-代わる。私ばかりが眠るというわけには――-」 「これしきのことで気遣いは無用じゃ」 「だが」 「それに」  エルフリーデの反対を遮り、ケインは瞑目したまま口角を歪める。 「お主に焚き火の番などという真似が出来るとも思えぬ」  はっきりしたケインの言葉に、エルフリーデは反対を呑み込まされた。  彼女を見下しているでも嘲っているでもない笑みを消し、ケインは続ける。 「道具も何もなく、身一つで森の中夜を明かす。お主にそんな経験なぞなかろう」 「それは……」 「それが悪いとは言わぬ。なれど、今この状況に必要なのは意地だの矜持だのではない」  水着姿という究極に近い無防備の状態で、食事から寝床からケインの世話になってしまったエルフリーデには反論できない。  周囲にあるものと己の技だけで生活空間を作り出し維持しているのは、他ならぬケイン・ダナートの修行時代に培われた技術と知恵であるのだから。  黙り込んだエルフリーデを愛嬌のない三白眼で一瞥して、ケインは薪を一掴み手に取り炎にくべた。  真新しい薪がひび割れていく乾いた音が響く。  ややあって、ケインがやおら立ち上がった。 「まぁ……お主が起きているというのなら、今しばらく火を見ておれ。拙者は薪を探してくる」 「それなら、私が――-」  立ち上がろうとしたエルフリーデは、つい今まで自身が枕代わりとしていた草の束に足を取られてバランスを崩す。  焚き火が光を投げかけているとはいえ、周囲が闇に支配されているには違いなかった。  ケインは深い闇の叢に足を踏み入れながら、すでに背後となったエルフリーデを一瞥する。 「お主では夜目も利くまい。おとなしくしているんじゃな」  草同士が擦れ合う音を残して、ケインの姿が闇に溶けていく。  追うことも出来ずに腰を下ろし、エルフリーデはそっと膝を抱えた。 「……ここまで、何も出来ないとはな……」  昼からの時間を顧みて、自嘲するように呟く。  文武両道をモットーに鍛えてきたエルフリーデは、まったくと言っていい程役に立つことが出来なかった。  食糧を確保したのも、寝床を見つけたのも、火を起こしたのも、その他もろもろに至るまで全てがケインの主導で行われた。  武者修行時代、数年にわたり山に篭っていたというケインがそういったことに長けているのはわかるとしても、だ。 「……やはり、私も弱い人間なのか……」  ――-強者などいない。人類全てが弱者なんだ。俺もお前も弱者なんだ!  愛しい故郷に別れを告げる原因となった言葉が甦る。弱い民を守ろうと、強くあろうとしていた自身を否定する言葉だった。  そんな言葉を。そんな思いを。そんな原理を受け入れる世界にいるつもりはなかった。  しかしこうしていると、それが正しかったのだという風にも思えてくる。  どれだけ剣の腕を磨き知恵を蓄えたところで、生きてなどいけない。  ふう、と溜息をつき、エルフリーデはその双眸を揺れ続ける炎に向けた。 「……弱者と、強者……」  ならば、ケインはどうか。どんな状況でも生き抜く力と、隊の中でも比肩する存在のない個人での戦闘力。格闘バカのように見えて、意外と博学でもある。  一個体として見て、間違いなく彼は、強い。  ならば彼は強者ではないのか。  アフター・コロニーに強者はなく、未来世紀に強者はあるのか。  同じ人類なのに? 「………同じでは、ないのかもしれないな?」  モビルスーツとさえ渡り合ってみせるケインの雄姿を思い出し、エルフリーデは独り苦笑した。  やがて両脇に薪を抱えたケインが戻り、エルフリーデと火を挟んで向かい合うように腰を下ろした。 「眠らないでよいのか?」 「考え事をしていたら、眼が冴えた。しばらくはこうしているよ」  エルフリーデは膝を抱え、ゆらゆら揺れる炎にぼんやりとした視線を向けながら呟く。  そうか、と興味なさそうに頷き、ケインは薪をくべる。 「しかし、災難じゃのう」 「……何がだ?」  今更のようにしみじみと呟くケインに、エルフリーデは首を傾げる。 「折角の遠出がこんなことになってしまった」  火かき棒代わりの太い枝で焚き火を突きながら、ケインはそう続けた。 「皆、楽しんでおったのに」 「………」 「……何故黙る。お主も楽しそうだったではないか」  俯くエルフリーデに口角を歪めるケイン。 「なっ!?」 「騎士だなんだと言っていても、やはり年頃の女子じゃの。ミリアム殿やアキラと遊んでおるのは、普通の女子と変わらなかったぞ」 「なっ、なっ……」  弾かれたように顔をあげたエルフリーデを、さらなる追い討ちが襲う。  照れと恥ずかしさがない交ぜになって、炎の照らす赤さより目立つ色で彼女の頬に現れた。 「私は、そのようなつもりでいたわけではない。ただ、そう、彼らと親睦を深めるために……」 「ふん」  エルフリーデの早口を遮るように、ケインが鼻を鳴らす。  すべて見透かしているような彼の態度に、エルフリーデは黙り込んだ。  なんのかんの言って、エルフリーデの倍ほども生きているケインである。比較的老成しているエルフリーデでも、なかなか勝てるものではない。  不必要に言い返さなくなった分、エルフリーデもそれを学んでいるのかもしれない。 「……じゃが、まあ……」  しばしの沈黙を置いて、ケインが再び口を開く。心なしか、目が泳いでいる。 「……かほどに可憐なお主の顔は、初めて見た」 「……そ、そうか」  呟くようなケインの言葉が、エルフリーデの頬をいっそう赤くする。  エルフリーデも、時々思い出したようにケインが言う妙に甘い台詞には未だに慣れない。普段の彼の姿からあまりにもかけ離れているためだろう。  そしてふたりともがあかあかと燃える炎に視線を注ぎ、口を閉ざす。もっとも、そうして生まれた沈黙は決して気まずいものではなかった。  焚き火が空気を炙る音と、時折はじける乾ききっていない薪の音。炎が生むかすかな空気の流れにも飲み込まれてしまう、お互いの呼吸。風は凪ぎ、生き物の声もない夜に、彼らの耳に入るのはそれだけ――- 「………む?」  ――-ではなかった。  ケインが顔を上げ、周囲を窺う。すっかり落ち着きを取り戻し、侍の顔をしている。 「どうした?」 「……何か、来る」 「何か? もう助けが来たのか?」 「違う。モビルスーツの駆動音ではない。もっと小型の……何だ?」  エルフリーデも耳をそばだてるが、彼女が捉えられるのは自然が発する音ばかり。ケインが言う「何か」の音と思しきものは感じられない。 「私には何も聞こえないが」 「……こちらに向かっておる。これは、車か?」 「車? こんなところにか?」  彼らは昼間、食糧を探すついでに周囲の様子を探った。  しかしそのときには、そのような文明の利器がある様子はまったくなかったはずである。 「まずいな。ひとまず身を隠すぞ」 「待て、説明を――-」 「急げ!」  ケインの逞しい足が地を蹴り、土を焚き火に浴びせかける。熱と空気を失った火は瞬く間に鎮まり、暗闇が戻る。  新月の晩ではないのだが、火の明るさに慣れたエルフリーデの目は何も捉えることが出来ない。  焦りと共に暗闇に向けて言葉を投げかけた。 「ケイン、一体何がどうなっているのだ!?」 「掴まっておれ!」  エルフリーデの問いに対する答えはなく、代わりに力強い腕がエルフリーデの肢体を抱え上げた。肩と膝の裏で持ち上げられている、いわゆる「お姫様抱っこ」の体勢だ。 「け、ケイン!?」 「飛ぶぞ!」  押し殺した声で短く吼え、ケインの両足が躍動する。  口を突きそうになった驚きの声を飲み込み、エルフリーデはケインの首に両腕を絡めた。全身を撫ぜる空気の流れから、上へと跳躍していることがわかる。  やがて、落下の感覚がないままケインはどこかに着地した。  周囲の状況がわからないエルフリーデはケインの腕を振り払うこともできず、彼にしがみついたまま不安げに問う。 「ケイン……?」 「口を閉じておれ。誰か来る」 「……その前に、降ろしてはくれないか?」 「ああ……すまぬ。枝の上だ。気をつけろ」  エルフリーデが伸ばした足の裏には、ケインの言葉どおり直径20cmほどと思しき樹皮が触れた。  ケインの肩を借りながらバランスをとり、足元を見下ろす。  先ほどまで周囲を照らしていた炎の光もすでになく、底なしの闇が枝の向こうに広がっていた。 「……何も見えないぞ……?」  息だけでそう告げるが、ケインは首を横に振る。 「聞こえぬか? 機械仕掛けの音が」  耳を澄ます。 「……?」  透き通るような夜の静寂をかすかに震わせる重低音が、エルフリーデの耳にも届いた。 「エンジン……?」 「うむ」  その重低音は次第に大きくなり、明らかに近づいているようだった。  同時に、その音の正体がエレカのエンジン音であることも確かになっていく。 「こんなところにエレカか?」 「見ておれ。来るぞ」  ケインの言葉が示したように、やがて足元の底に白い光が伸び始めた。  ヘッドライトか――-エルフリーデがそう気付くのとほとんど同時に、まばらに生えた木々を割って優美な車体が現れた。 「……珍妙な色じゃの」  率直な感想を漏らしたのはケインだ。  確かにピンク色のリムジンなどというものを見れば、そんな感想を漏らす他はあるまい。  しかし、ケインが横目で様子を窺ったエルフリーデは、目を見開いてその森の中で異彩を放つ車体を凝視していた。 「どうした?」 「……馬鹿な……そんなはずはない……!」 「だから、どうしたの言うのじゃ」  エルフリーデはケインの疑問に答えない。  と、彼女の視線の先に人影が現れた。  ヘッドライトに照らされた2つのシニヨンが特徴的なシルエットには、ケインも見覚えがあった。 「あれは……」  エルフリーデは、もっと早くそれに気付いていたのだろう。  ケインが事情を察する真下で、シルエットはリムジンを振り返っていた。 「確かに、何者かがいたようです」 「そうですか……この島に私達以外の人がいるなんて……」 「いかがなさいますか?」 「……少し、辺りを探してみましょう。まだこの近くにいるのかもしれません」 「かしこまりました」  シルエットがリムジンへ戻っていく。 「どうする?」  ケインが傍らの騎士に問う。  この状況を判断するには、自分より彼女の方が適任だと思えたからである。 「……隠れていれば、見つかることはないだろう。明日になれば仲間も迎えに来るはずだ」 「そうじゃな。だが……昨日の様子では、戦闘も免れないかもしれぬ」 「ああ……それでもあの方なら、便宜を図って下さるかもしれない」 「ならば、降りるぞ。続け」  言うなり、ケインの姿が隣から消えた。  かすかな風を切る音がして、足元の地面に彼の姿が出現していた。 「………」  一瞬の逡巡の後、エルフリーデも続く。  エルフリーデは自分がケインのような無茶な身体能力を持っていないことを知っている。  だが、ケインが続けと言ったならば。 「ほっ」  ケインが軽々と、重力によって充分加速したエルフリーデを受け止める。それは、彼女が予想していたとおりのことだ。  すぐさまその腕を抜け出し、エルフリーデは発進しようとしていたリムジンの前に躍り出た。 「お待ちください!」  すでに始動していたリムジンは、思わぬ障害物につんのめるように停止する。  そしてドアが開き、エルフリーデにとっては見慣れたシルエットが姿を見せた。 「貴様! 何を考えている!」  聞きなれた剣幕に戸惑うこともなく、エルフリーデは跪き、頭を垂れる。 「失礼をした。だが、このリムジンの主に用がある。お目通り願いたい」 「何だと……? 貴様、この島に侵入したという奴か」 「いかにも……」  顔を上げ、シルエットの顔をじっと見つめる。  今は逆光のために窺えないが、小さめの眼鏡と栗色の髪、鮮やかなルージュと気の強い顔立ちは目に浮かべることが出来る。 「レディ・アン特佐」 「……何?」  エルフリーデは再び頭を垂れ、続ける。 「リリーナ・ピースクラフト様にお会いしたい」 「お前は……」  レディが自分の寝床を踏みしめる音を聞きながら、さらに続けた。 「エルフリーデ・シュルツ」  立ち上がり、眼鏡の奥に鋭く光るレディの目を真っ直ぐに見据える。  毅然として揺るがないその瞳が、かすかな驚きに震えた。 「久しいな、レディ・アン」 「……エルフリーデ・シュルツ二級特尉……!?」 「いかにも。ニューエドワーズでは世話になったな」  シニカルな笑みを口許に浮かべたエルフリーデの視線と、驚きを張り付けたレディ・アンの視線がぶつかる。 「どういう風の吹き回しであなたがリリーナ様の運転手をしているのかは知らないが、彼女の力を借りたいのだ。会わせていただきたい――-?」  エルフリーデの毅然とした口調が鈍った。  彼女の目の前で、驚きを静めたレディ・アンが不思議そうに口を開いた。 「シュルツ特尉……その格好は何だ?」 「……?」  言われて初めてエルフリーデは自分の長身を見下ろす。  少し汚れてはいるが、リムジンのヘッドライトに溶けてしまいそうな白い肌。しなやかなその肢体を、僅かな布地だけが隠している。 「――――ッ……」  深い自然に、絹を裂いたような悲鳴が響き渡った。 「現状、もっとも私に近しい人間がプリンセス・リリーナだったのだ」  エルフリーデは胸をサラシで締めながら、レディ・アンがそんな風に独白するのを聞いていた。 「トレーズ閣下が居らず、ハマーンとかいう得体の知れない女が全てを取り仕切るこの島ではな」 「ハマーン?」 「ネオジオンという組織の首魁だと名乗っているが、私はそんな組織を聞いたことなどない。他にもバルチャー、ザンスカール、リガ・ミリティアなど……まるで余所の世界に紛れ込んでしまったようだ」 「ふむ……」  曖昧に頷きながら、エルフリーデはレディ・アンから上着を受け取る。  今レディが口にした組織の中でエルフリーデが直接に知っているのはバルチャーだけだったが、Gジェネレーション隊の仲間との話の中に出た名前もあった。  それが何を意味するのか見当もつかないまま、懐かしいデザインの軍服に袖を通す。 「だが、それ以上に……奇妙なことには、女ばかりなのだ。この島にいるのは」 「女ばかり?」 「何十人かの人間がいるようだが、すべてがな。OZの人間もノイン、ヴァルター特佐直属だという姉妹の他には会っていない」 「……む」  何らかの理由で、様々な時代から人が集まったのか。  もともと技術に疎いエルフリーデに推測できるのはその程度だったが、それでも充分に異常な事態だと思えた。  鋭角の顎に手を当てて考え込むエルフリーデを見て、不意にレディが口を開いた。 「やはり、丈が足りなかったようだな」  その言葉に、エルフリーデは自身を見下ろした。  レディ・アンのものを借りた緋色の軍服は確かに彼女の長身を包むには足りないらしく、手首足首が必要以上に見えてしまっていた。 「貸してもらえただけでもありがたい。文句はない」  エルフリーデは微笑し、その言葉で服に関する話を切り上げた。  レディの性格からして絶対にありえないことではあったが、余りまくっている胸の布地に話が移ってはいたたまれない。  それに、私はサラシで締めているのだしな。  自分をそんな風に納得させ、真顔に戻る。 「それで、プリンセスは?」 「ハマーンに連絡を取っている。貴様の処遇を決める相談だ」 「そうか……」 「エルフリーデ・シュルツ、勘違いはするな。お前は捕虜であって、賓客ではないのだ」 「心得ているつもりだ。それよりも、あなたに話しておきたいことがある。ここに連れて来られる前だが――-」  エルフリーデは口を動かしつつ、傍らのベッドに腰を下ろした。  それとなく巡らせた視線に映るのは、簡素でありながら優雅な風情を漂わせるインテリアの数々。  OZにいた頃にも見たことがあるそれらは、レディ・アンの趣味である。ひいては、トレーズ・クシュリナーダの趣味でもあろう。  レディ・アンの運転するリムジンの助手席に乗せられたエルフリーデは、リリーナと一言も交わせないままに彼らの基地にあるらしい彼女の私室へと連れて来られていた。  水着姿のままではプリンセス・リリーナとのお目通りは適わない、というのがレディの言い分であり、エルフリーデも水着姿に気恥ずかしさを感じていたためにそれに従っている。  そして成り行き上、エルフリーデはひとりでここまで来ているのである。 「私はこの島にひとりで来たわけではない」 「……昼間の戦艦か?」 「いや……それは確かに私達だが、その後この島に取り残された人間が私の他にひとり……いや、おそらく3人いる」 「それもお前の仲間か」 「ああ。おそらく早晩、昼間の艦が私達を迎えに戻ってくるだろう」  そうなれば戦闘は免れまい、というのがエルフリーデの推測である。事実、先刻はモビルスーツ2個小隊がテンザン級に襲い掛かっていた。  同様の推測を立てたのだろう、レディの表情が納得に変わった。 「……それで、プリンセスか」 「私達に敵意はない。それを理解してもらいたいだけだ」  レディは軽く嘆息すると、眼鏡の奥から鋭くエルフリーデを睨みつけた。 「そんな言い分が通ると思っているのか?」 「あのお方ならば」  完全平和主義。  そんな、ともすれば子供じみた夢とも受け取られかねない思想を抱き、受け継ぎ、そして貫いた少女。  人の良心を信じて疑わない彼女の理想は同じ想いを抱く人間達に助けられ、やがて世界を包む。  それを確かに目の当たりにしたエルフリーデにとって、リリーナはトレーズと並んで信頼するに足る存在と言えた。  一方のレディ・アンは彼女にとっての未来であるその現実を知らない。リリーナに銃を向けられたことさえある彼女にエルフリーデの信頼は奇異に映るはずだった。  しかしレディは視線をエルフリーデから外し、忌々しげに呟く。 「……確かにあの方は、お前と話を従っていた。まず話し合うことから始まるとな」  そのまま一瞥をくれることもなく、レディは退室した。  エルフリーデがリリーナとの対面を許されたのは、それから半刻ほど後のことである。  果たして夜明けの浜辺、OZの上級士官服に身を包んだエルフリーデと相変わらず褌一丁のケインの姿があった。 「戻ってきた彼らが問答無用で島に攻撃を仕掛けたらどうする?」 「ユリウス・フォン・ギュンターに限ってそんな愚かな真似はするまいさ」  この一帯を占拠している部隊の司令官だというハマーン・カーンにリリーナを通じて――-というよりもリリーナの説得によって何とか話を取り付けたエルフリーデは直に解放され、無事ケインと合流していた。  また幸いなことに、デニス・ナパーム、ミンミ・スミスの両名がサテリコンのパーラ・シスによって保護されていたという事実も確認されている。 「あとは到着を待つばかり、じゃな」 「そうだな……」  頷きながら、エルフリーデは背後の島を振り返った。  白い砂浜、濃緑の森、白む空。絵に描いたような楽園の姿がそこにはある。  しかし、そこにいるのは。 「ケイン」 「何じゃ?」 「この島は……何なのだろうな?」  いくつもの時代の女達が住む島。今のエルフリーデにわかるのはそれだけである。 「……わからぬな。拙者達のように時空を超える力を持つことも出来る。何があり得ないと言うことは出来ぬじゃろう」 「だが……」 「もうよせ。拙者達にわかる理屈ではあるまい」  言い放ったケインの口調は、決して思考を放棄した投げやりなものではなかった。かといって、全てを悟りきっているものでもない。どこか釈然としないものを抱えながら、ケインはそう言うしかないというのが解っているのだ。  エルフリーデは、それを認めざるを得ない。 「しかし、なかなか愉快な休暇じゃったの」  沈んだ表情で島に背を向けた彼女の隣で、ケインが表情を緩めた。 「すっかり戦艦暮らしに慣れてしもうたが、やはり自然は良いものじゃ」  言って、からからと気持ち良さそうに笑うケイン。  その横顔に、難しい顔をしていたエルフリーデも相好を崩す。  僅かな不安と共に眺めた夕日も、大きな不安と共に食べた果実も、不安を忘れて眠った焚き火のそばも、後になればいい経験だと思えた。 「そうだな。 ……悪くない、休暇だった」  呟きながら、少しだけケインに歩み寄る。  やがて空の彼方から低い音が轟き、水平線の向こうには見覚えのある影が現れた。  接近するGファルコンとテンザン級をそれぞれ眺め、エルフリーデはケインと視線を交わす。  不可解な点は多い。あるいは、何かとんでもない裏があるのかもしれない。それでも、今だけは。  どちらからともなく笑みを浮かべて、ふたりは休暇の最後を飾ることとした。