「ほんとに、暇ねぇ……」  目の前で溜息をつくミリアム・エリンに、エルフリーデ・シュルツは眉根を寄せた。  Gジェネレーション隊の本拠地、通称ガチャベースの大食堂。任務に出ている以外の全てのGジェネレーション隊員が訪れるこのだだっ広い空間の一角で、ふたりは向かい合っている。  ふたりともトレイの上は空っぽで、食後のコーヒーを楽しんでいたところにミリアムが疲れた呟きを漏らしたのだった。  エルフリーデは短く息を吐きながら安っぽいカップを置き、小柄な年上をじと目で見つめる。 「ミリアム……その言い方はよくないと思うな」 「そう言ってもねぇ……どこかの騎士さんがどこかのお侍さんと来る日も来る日も喧嘩してるから、私達の船がオーバーホールに回されちゃったんじゃない」 「う……」  そう、ふたりがこうして本拠地の大食堂に向かい合っているのは、彼女達の乗艦であるゴルビーIIがオーバーホールに回されたためだった。  小型艇ではあるが未来世紀から戦後世紀までを戦い抜いた傷は多く、加えて超人的な身体能力を持つガンダムファイター2.5人と――-ミリアムは自分がまだ真人間だと言い張って譲らない――-それには及ばないまでも優れた能力を持つエルフリーデの日常生活は内側からもゴルビーIIを蝕んでいた。特に戦後世紀後半から起こるようになったエルフリーデとケイン・ダナートの追いかけっこは少なくないダメージを艦に与えていたらしい。  たっぷり1ヶ月の修理期間を宣告されたゴルビーIIの乗員達は基本的に休暇となり、ミリアムらもこうしてゆっくり食事をとっていたのだが、 「なんだかこう、身体がなまっちゃうのよねぇ」  というのがミリアムの弁である。  カップの中を空にした彼女は、精一杯大きく伸びをしながら仰け反った。大食堂の高い天井に、無機質な照明が整然と並んでいる。 「……任務じゃなくていいから、どこかにぱぁーっと遊びに行きたいわ……」 「面白そうな話じゃないか?」 「ひゃうっ!?」  野太い声と一緒に現れた巨大な顔に視界を占領されたミリアムが、可愛らしい悲鳴をあげた。 Let's go under the blue, blighting sky! 「おっと、危ねえなあキュートレディ」  バランスを崩して椅子もろとも倒れそうになったミリアムを丸太のような腕で支えながら、もう一方の手に持ったトレイを机の上に置く男。  パツンパツンのオーバーオールに巨躯を包み、酒と煙草の匂いを周囲に振り撒く陽気なバーツ・ロバーツだ。 「あ、ありがとうございます」  咄嗟に笑顔で取り繕ったミリアムは、気持ち良さそうに紫煙を漂わせる彼からさりげなく距離を取る。  エルフリーデに至っては露骨に顔をそむけ、今にも席を立とうとしていた。  そんな彼女達の様子に気付いているのかいないのか、バーツは楽しげな笑みを浮かべたまま話し掛ける。 「いいねぇ、ぱぁーっと遊びに。俺もちょうどそんなことを考えてたところでよ」 「そ、そうですか」 「レディ、あんたはどんなとこがいいと思う? 俺はやっぱり大人の楽しみがあるところがいいんだが」 「そ、そうですか?」 「だが、そんなとこ行こうとしても上のお堅い連中の許可が出るわけもないよなぁ」 「そ、そうですね」 「やれやれ……どこかいいところはないもんかねぇ」 「そ、そうですね?」 「バーツさん、ミリアムさん、楽しそうに何をお話ししてるんでありますか?」 「あら、ミンミちゃん」 「ようミリタリーガール」  空のトレイを手ににこやかに入り込んできたのは、昔ながらのツナギにゴーグル付きの飛行帽をかぶったミンミ・スミスである。同じ時代の出身のバーツと同じ艦に乗っていたミリアムが会話していたので、割り込みやすかったのだろう。  随分と一方的な「楽しそう」もあったものだ、とは思いつつも、ミリアムは笑顔で応じる。 「この休暇に、どこかに出かけられないものかって、バーツさんが」 「ガール、お前さんも非番だろ? どこか行きたいところはねえか?」 「自分が行きたいところでありますか? そうですね……」  顎の下に手を添える古臭い考え中ポーズの後、ミンミは掌を軽く拳で叩くひらめきのポーズ――-こちらも古臭い――-をしてみせる。何か思いついたらしい。 「自分は海に行きたいであります!」 「海か……」 「海ね……」  ベーシック過ぎるほどベーシックな答えに、バーツもミリアムもつい鸚鵡返しにしてしまう。  ミンミは元気に頷いて、はきはきと理由を述べ始めた。 「まず、折角の休みなのですから本拠地の中にないところに行きたいであります。つまり、山や海や、そういう自然のところであります。それから、なるべく誰もが楽しめるところにしたいのであります。海を嫌いという人を、自分は寡聞にして知らないのであります。そして、何より……その、自分は海で遊んだことがないのであります」  整然とかつわかりやすい説明に、聞き手のふたりは――-いつの間にかエルフリーデはいない――-頷くばかりだ。  満面の、そして期待の笑みで彼らを交互に見比べるミンミは、返事を待っているのか黙っている。 「………」 「………」 「………」  しばしの奇妙な沈黙の後、毒気を抜かれたように素直な表情でバーツがそれを破った。 「まぁ……海は、いいやな。俺はノープロブレムだぜ」  それに同意する形で、ミリアムも調子を取り戻す。 「私も、反対する理由はないわ。じゃあ、ちょっと司令に掛け合ってくるわね」 「それじゃ俺は人を集めとくとするか。ガール、お前さんもな」 「了解であります!」  温和な表情を崩さないまま、トレイを手に席を立つミリアム。空のトレイを返却し、大食堂を後にする。  と――- 「随分と話し込んでいたようだったな」  大食堂の出入り口の壁に、エルフリーデの長身が寄りかかっていた。 「エルフィ……いつの間に消えてたの?」 「あの粗野な男が来て、すぐだ」  遠くに見えるバーツを一瞥して、エルフリーデは嘆息する。 「まったく。戦後世紀の人間は、度し難い……」 「……ふふっ」  高貴かつ上品な世界を生きてきたエルフリーデにとって、弱肉強食の熾烈な環境に育ったバルチャーの纏う空気は耐えられないものであるらしい。  露骨に嫌悪の表情を浮かべる彼女を曖昧な笑みで宥めつつ、ミリアムはふと思いついたように問う。 「ところでエルフィ、あなた、海って行きたい?」 「……は?」  鳩が豆鉄砲を食らったような表情を見せるエルフリーデに、小首を傾げたミリアムの笑みが向けられていた。 「あはっ、見てショウ! イルカがいる!」 「えっ、どこどこ!?」  舷窓に向かってはしゃぐカチュア・リィスとショウ・ルスカ。ふたりの視線の先には、海面から顔を出しながら駆けるイルカの群れの姿がある。  無邪気に手を振ったりしている様子を微笑ましく眺めながら、ミリアムは傍らのバーツに言うともなしに話し掛けた。 「言ってみるものね」 「まったくだ」  彼らが今いるのは、海上を滑るように移動するテンザン級陸上戦艦のブリッジである。  食堂での話の後その足で司令官ガルン・ルーファスの元へ向かったミリアムの申し出は、拍子抜けするほど容易に許可された。それどころか、地上での作戦用に新たに建造されたテンザン級陸上戦艦をそのために貸与し、また訪れるポイントまで指定された。すっかりガルンにお膳立てしてもらった形になる。 「戦艦出してもらって、おまけにいい場所まで探してもらっちゃって……」 「あのハードガイも案外話のわかる奴だったってわけだ」 「そうなのかしら……」  あまりにうまく行き過ぎた話にどこか釈然としない表情を見せるミリアムと対照的に、バーツは満面の笑みで外に広がる海を眺めている。 「いいねぇ、休暇ってなこうでなくちゃならんよな」  そんなバーツの様子に、悩みない人ね、とでも言いたげに肩を竦め、ミリアムは彼のそばを離れた。  ブリッジを見渡せば、窓際にはカチュア、ショウが相変わらずはしゃいでいる。パティ・ソープが舵輪にもたれかかって気だるげに前を眺めている隣で、オペレータ席のフェイ・シーファンはいつもと同じ静かな微笑みを浮かべている。艦長席のジェフリー・ダインは眠っているのか瞑想でもしているのか、さっきから目を閉じたまま動かない。  また今この場にはいないがミンミと彼女に誘われたデニス・ナパーム、ユリウス・フォン・ギュンター、ミリアムの誘ったエルフリーデとケイン・ダナート、アキラ・ホンゴウもいるはずで、またカチュアを介してフローレンス・キリシマも呼ばれている。バーツはさりげなくケイ・ニムロッドやシェルド・フォーリー、クレア・ヒースローといった手空きの若者衆に声をかけていたらしい。それから、どこから話を聞きつけてきたのかサエン・コジマやニードルも乗り込んでいるはずだった。  声をかけたにも関わらず来なかった人間や、任務で本拠地を空けていて話すら伝えられなかった人間もいるが、Gジェネレーション隊の主要メンバーの総数を考えれば、なんだかんだでなかなかの大所帯である。 「いいのかしら、こんなに大勢で抜けてきてしまって……」  ミリアムはそう思うが、Gジェネレーション隊という組織の存在意義を考えれば、常時一定の戦力を確保しておく、ということにさしたる意味がないというのが事実である。元々軍隊というより調査隊的な趣の強いGジェネレーション隊であるから、軍から派遣されて形式的な指揮を執っているガルン・ルーファスとGジェネレーション隊の技術的な基礎を築いた実質的な発起人であるユリウス・フォン・ギュンターの意のままに動くだけであり、外的な事情に要請されて、という出動は基本的にありえない。  であれば、ガルンとユリウスが了承すれば、何をしても問題ないということにはなる。  それでも気にするのがミリアムの生真面目なところであるのだが。 「ん〜……あれかな?」  不意に発せられたパティの言葉に、ブリッジ中の視線が彼女に向かう。  それらを気にする様子もなく、パティは相変わらず緩慢に頷くと、改めて言った。 「あの正面に見えてるのが、目的地だね」  パティに向いていた視線がいっせいに正面へ動く。  果たして、青く波立つ大洋にちょこんと小島が顔を出していた。  抜けるように高く、眩しすぎるほどに青く輝く雲ひとつない空。穏やかにどこまでも広がる海。燦々と降り注ぐ太陽の光を受けて白くキラキラと光る砂浜。  ガルン・ルーファスが指定したポイントの砂浜は、これ以上ないほどの海水浴日和だった。  そんな砂浜に、3人の屈強な男達が荷物を抱えて歩いてくる。 「この辺でいいのか?」 「そうだな……満潮時の海岸線がそのあたりだから、ここなら問題ない」 「相変わらず細かいな、ブラザー」  アキラ、デニス、バーツの3人がそれぞれパラソルを地面に突き刺し、レジャーシートを広げる。  アキラは彼の性格をよく現した真っ白なトランクスタイプの水着である。ハチマキやジャージのない彼は、至って普通の若者にも見えるが、動作ひとつひとつのたびに皮膚の下で躍動する筋肉がそこらの男とは違うことを主張している。  一方のデニスの身体を覆っているのは、黒いブーメランパンツが一枚きりだ。その鍛え抜かれたマッシヴな肉体と相俟って、どこからどう見てもボディビルダーにしか見えない。ただひとつ違う点をあげるとするなら、全身に施されたモスグリーンのペイントだろう。  そういう意味では、バーツが一番普通の格好をしているのかもしれない。ハーフパンツタイプの水着にデニムのベストを羽織っている姿は、ネオアメリカあたりの夏に行けばいくらでもお目にかかれる格好だろう。身体の方も、かたやガンダムファイター、かたやゲリラ戦を得意とする元軍人のふたりと違って、鍛えられてはいるが一般人にもいる範囲である。 「すみませんね、三人とも」  恐縮しながらもさっさとパラソルの作る日陰に入るのは、ユリウスである。まるでどこぞの怪盗の3代目のような、ボーダーのワンピースタイプに身を包んでいる。彼に続いて日陰に避難するのは、青いトランクスタイプを穿いて上には白いパーカーを羽織ったショウである。ユリウスと違って彼はぺこりと頭を下げ、 「ありがとう、アキラさん、デニスさん、バーツさん」 「気にするな、坊主。そんなことより太陽の下で遊べよ」 「おい、程ほどにしとけよ、ブラザー。ピュアボーイの首がもげちまうぜ」  豪快な笑みと共にわしわしとショウの頭を撫で回すデニスと、それを茶化すバーツ。同時代出身という以上の因縁があるらしい3人だが、強面のデニスもバーツもショウには妙に甘い。 「やれやれ、おじさん達、荷物運ぶの手伝ってくれよ」  大きく息を吐きながら、やっとという感じでクーラーボックス2基をシートの上へ降ろしたサエン・コジマが愚痴る。  デニスはそれを一瞥して鼻で笑い、 「お坊ちゃんはもうちょっと身体を鍛えな」  とにべもない。  確かにサエンの身体つきはアキラ達と比較すると見劣りする。サエンの筋トレ嫌いもあるだろうが、こればっかりは比較対象が悪い。  同年代の平均で見ればまったく平均的な身体つきをしているサエンは、派手なトランクスを穿いた腰に手を当てて、不満げに言う。 「悪いけど、ムキムキマッチョは俺の美意識に反するんでね」 「日本男児にあるまじき言い分だな、お主」  颯爽と赤フンの前垂れをたなびかせながら現れたケインは、そう言うに足るだけの肉体を持っている。すでに下り坂に入っているはずの年齢だが、剣豪の筋肉はまったく衰えを見せていないようだ。前垂れに縫いこまれた「武」の一文字にかける心意気がそうさせるのだろうか。 「まったく情けないと言ったらないのう」 「フン、おっさんにゃわかんないんだよ、俺のハイセンスな美意識はな」 「お主がまだ日本男児の何たるかをわかっておらんだけじゃろう」 「言ってろよ、この――-」 「よせよ、プレイボーイ。サムライも。女神様のお出ましだぜ?」  言い争いを始めそうになるふたりの間に割って入ったバーツが、緩みきった笑顔で顎をしゃくって艦の方を示した。男達の視線がそれに従う。  そして誰からともなく溜息が漏れた。 「海だ〜〜っ☆」  先頭切って駆け出してくるのはカチュアだ。 「行け、カチュア〜! 海は現にあるのだ〜!」  よくわからないことを口走りながらクレアが続く。 「カチュアさん、クレアさん、あんまり走ったら危ないですよ」 「……無邪気でいいわね、若い子って」  落ち着いてその後ろから歩いてくるのはフローレンスとミリアムである。 「どしたの、あんた?」 「いや、その……水着を着ることなんて少なくてな……」  さらに呑気に続くパティの後ろからおずおずと出てきたのは、エルフリーデだ。  6人の美女美少女の競演に、男達は声も出ない。  感嘆してただ見つめているうちに、女達もパラソルのところまでたどり着いた。 「ね、ショウ、これ似合う? 似合ってる?」  花柄のワンピースの裾についたフリルを両手で広げながら、カチュアがくるっと回って見せる。  声をかけられたこととその動作で真っ赤になりつつも、ショウはこくこくと何度も頷き、 「すっ……ごく、似合ってるよ」  とどうにか答えた。  それを聞いたカチュアの方も頬を染め、嬉しそうに飛び跳ねる。カチュアのオーバーなアクションのたびにフリルが揺れて、確かに可愛らしい。  そんなふたりの様子を憮然と横目で見ていたユリウスの前には、砂浜よりもなお白く煌く脚線美が伸びていた。 「どうしたんですか、ユリウスさん?」 「……フローレンスも、その水着、よくお似合いですよ」 「あら、ありがとうございます」  たおやかな笑みを浮かべるフローレンスの肢体を包んでいるのは、彼女の髪と同じ漆黒のスポーツタイプのビキニだ。普段チャイナドレスのスリットから垣間見れるだけの脚が、大胆に切れ込んだボトムから大胆かつしなやかに伸びている。  バーツやサエンなどはもうそれに釘付けなのだが、ユリウスにとっては大した魅力もないらしい。  いつものクールな笑みを浮かべたままに、いつものクールな口調で続ける。 「そんな君に最初に声をかけてもらえるのは、光栄ですね」 「うふふ……お上手ですね」  慣れた調子でまったく気持ちのこもっていない社交辞令をかわす大人びた少年少女を余所に、一番緊張した面差しのエルフリーデは迷わずケインの前に立った。その頬は誰よりも真っ赤に染まって、視線もどこへともなく泳いでいる。 「け、ケイン」 「む……」  搾り出すような呼びかけに答えるケインも、さりげなく顔を赤くしている。根本的に女に免疫のない男なのだ。 「似合うか……?」 「む……」  リラックスしたポーズを取る事もなく直立不動のエルフリーデを見つめて、ケインは低く唸った。  エルフリーデが身につけているのは、シンプルな白のビキニである。飾りのまるでついていないシンプルなカップがお世辞にも大きいとは言えないが形のよい胸を包み、同じくシンプル極まりないデザインのボトムが引き締まったヒップを覆っている。  たったそれだけのことなのだが、元々スタイル抜群のエルフリーデが着ているので、清楚な魅力が溢れ出ている。  間近で見ているケインはそれをひしひしと感じつつも、うまく言葉にすることが出来ない。 「うむ……うむ……そうじゃな」 「……ど、どうなんだ」 「う……うむ……」 「どう、なんだ……?」 「うむ……む……」 「……進歩ないふたりね」  固まってしまったふたりを遠巻きに眺めながらそんなことを呟くのは、ブルーの競泳水着の上からパーカーを羽織っているミリアムだ。 「ミリ、泳ぐ気はないのか?」  パーカーを着ているからだろう、傍らのアキラはそんな風に声をかける。  ミリアムは肩を竦め、 「そのうち、ね」  と曖昧に返し、パラソルの下に腰を下ろした。  一番関係がはっきりしているはずのふたりだが、会話は一番淡白だった。 「よっしゃー! 泳ぐぞー!」  クレアは水着姿を誰かに見せるでもなく、そのまま一直線に波打ち際へと向かっていく。その疾風のような素早さに呆気に取られる一同。 「いやっほー!」  ストライプのビキニで元気いっぱいの身体を包んだクレアがそのまま波の中へ飛び込んだ。  ややあって、ショウが立ち上がった。 「……僕達も、行こっか?」 「うん☆」  手に手をとってクレアを追いかけるふたりを皮切りに、次々と海へ入っていく。  結局パラソルの下に残ったのはバーツとデニス、それにパティとミリアムの4人だけとなった。  シートの上で横になりながら、パティが半ば呆れたように呟く。 「元気だねぇ、みんな」 「まったくだ……ブラザー、泳がないのかい?」  パラソルの下に腰を下ろしたバーツが見上げたデニスは、苛立たしげに艦の方を眺めていた。  まるで、誰かを待っているような――- 「カチュアちゃ〜ん! 忘れ物でありま〜す!」  浮き輪を担いで飛び出してきたミンミの姿に、デニスの焦点が合う。  深く息を吸い込んだかと思うと、傍らにいる3人の鼓膜を大音声が振るわせた。 「遅いぞ、ミンミ!!」 「あぅっ!? も、申し訳ありません、軍曹!」  それに負けない大声を張り上げるミンミは、浮き輪をパラソルの下に放り出してデニスの前に立ち、見事な敬礼の姿勢を取る。黒の競泳水着の胸に「みんみ」と名札が縫い付けられている子どもっぽい出で立ちとは対照的だ。  しかしデニスはそんな格好には目もくれず、鼻を鳴らして彼女を睨みつける。 「戦場では秒単位の行動が要求される! 休暇中だからといって、気を抜くな!」 「サー、イェッサー!」 「よし。あの島まで遠泳を行う! タイムリミットは1時間だ!」 「サー、イェッサー!」 「GO!」 「イェッサー!」  さんざん怒鳴り合ってから、ふたりは揃って駆け出した。彼らの行く先には、確かに離れ小島がある。  ぱっと見て、1時間でたどり着くのはなかなか大変そうな距離に思える。 「……休暇で来たのよね、私達?」  ミリアムがそうこぼしてしまうのもやむを得ないテンションのふたりであった。 「ブラザーもガールも難儀な性格だぜ、まったく……」  両者を良く知るバーツはそんな風に呟く。  しばしものすごい勢いで遠ざかっていくふたりの背中を眺めていたミリアムは、気分を切り替えるように短い息を吐きながら立ち上がった。 「それじゃ、これをカチュアちゃんに届けてこようかな?」  言いながら、パーカーを脱ぎミンミが放り出していった浮き輪を手に取る。  それで器用に日陰を作りながら、波打ち際で遊んでいる少年少女達の方に歩いていった。  残されたバーツとパティは、しばらく激しい照り返しの中でまんじりともせずに過ごしていたが、不意にパティがバッグの中を探し始めた。 「何だ?」 「オイル、塗ろうと思って」  淡々としたパティの答えに、バーツの頬が緩む。下心がミエミエだ。 「それなら俺が塗ってやるよ、セクシーガール」 「ふうん?」  値踏みするような目をバーツに向けながら、パティの手はオイルを探り当てた。まだひんやりとした硬質な瓶を首筋に当てる。  普段から露出度の高い服装をしている彼女だが、今日は特に際立っている。分類で言えばビキニになるのだろうが、エルフリーデやクレアが纏っていたそれとは明らかに種類が違う。今砂浜にいる人間で一番大きな胸を隠すトップはいわゆるハーフカップタイプで、激しい動きをすればすぐにこぼれてしまいそうなほど頼りない。ボトムもフローレンスのもの以上のハイレグで、前布は鋭い二等辺三角形を描いている。後ろに回ればもう布地はほとんど見えない、Tバックと呼ばれるものだ。  そんな水着姿の彼女がパラソルの下、膝立ちで軽く小首を傾げている――-グラビアにありそうなほど絵になっている。半分閉じられた目とかすかに開かれた厚い唇もそれに拍車をかけている。 「――――-」  決して美人ではないパティの艶姿に、バーツはつい見惚れてしまっていた。だから、パティが何がしか答えたのを聞き逃してしまった。 「な、何だって?」 「いいよ、って言ったの。お願いね」 「お、おお。任せとけ」  オイルを塗るだけなのに任せとけも何もあったもんではないが、パティからオイルの瓶を受け取ったバーツは自信満々に頷いてみせた。  シートの上に横たわったパティが背中のホックを外すと、トップの紐がはらりと落ちた。 「それじゃ、いくぜ」 「ん……」  背中に落ちてきた冷たい感触に、パティはかすかに身を硬くした。  たっぷりひとかたまりが落ちきるのを待って、バーツの無骨な掌が背中に触れる。 「……ぁん……」  わずかに色っぽい声をあげながらバーツに身を任せていたパティは、不意に思い出したかのように口を開いた。 「そういやさ……ケイとシェルドってどうしたんだろ……?」 「ん……さぁな。ふたりでよろしくやってるんじゃないのか?」  露骨に適当に答えるバーツは、オイル塗りに集中しているらしい。任せろ、と言っていただけあって慣れた手つきだ。  と、その指が脇腹をなぞり、パティの鼻から甘い音が抜ける。  バーツの耳はそれを聞き逃さない。 「どうした、ガール?」 「なんでもないよ……続けて」 「よしきた」  再び手の動きを再開したバーツは、意図的に同じところを、さっきより強く撫ぜてみる。 「ぁぅんっ……」  今度ははっきり、パティが声をあげた。  バーツは会心の笑みを浮かべ、その顔を覗き込む。 「どうしたんだい、ガール?」 「………」  むっとしたように口を閉ざすパティ。優位に立ったと思い込んだバーツは、調子に乗ってこう続けた。 「もっとやって欲しいか?」 「……あのさ、バーツ」 「それならそうと言ってくれりゃ、サービス精神旺盛な俺はいくらだってやってやるぜ?」 「バーツ」 「さあ、どうしたんだ、ガール」  パティは深く深く溜息を吐き、怜悧な声でこう答えた。 「いい加減にしないと金取るよ、このエロオヤジ」 「シェルド、そっち行った!」 「わ、わかった!」  バーツが思わぬ反撃に固まっている頃、その少し前に話題に上ったケイとシェルドは何故か水着姿のままよく知らない艦内を縦横無尽に駆け巡っていた。 「待て、この変態盗撮野郎!!」  遠慮なんてまったくないケイの罵声を叩きつけられているのは、ロンゲにバンダナがトレードマーク、今はそれに鼻を保護するフェイスマスクが加わってますます怪しげな風体になっているニードルである。以前フローレンスに踏み折られた鼻はまだ癒えないらしい。  そんな哀れな彼がどうして追い掛け回されているのかというと、その答えはケイの手の中にあった。  粉々になったプラスチックの破片に混じって、どう見てもレンズと思しき円形のガラスがある。それからケイの罵声を併せて考えれば、まぁ、そういうことである。  鼻と引き換えに直接手を下すことの愚を悟ったのか、それとも単に趣味か、ともかく今回はそういう行為に走ったニードルであった。  それを発見したのが最後に着替えをしていたケイ。そして、彼女を待っていたシェルドを巻き込んで追跡劇が始まったというわけである。 「ヒャヒャヒャ、こっちだこっちィ!」 「あ、案外足速いなあの人……!」  体育会系ではないシェルドの息は、もう上がり始めている。戦後世紀の陸上戦艦では大型の部類に入るテンザン級を端から端まで走らされれば、そうなるのもわからないではない。 「ったく……艦の構造がわかってりゃもうとっくに掴まえてるのに!」  ケイが苦々しげに言う。確かにシェルドもケイも経験のないテンザン級戦艦を舞台にしているというのは、下準備をしたニードルに分がある追いかけっこである。  しかし、ふたりを相手に逃げ続けられるニードルの身体能力だって決して低くはない。変態なだけなのだ。 「ほォら、ここだぜェ!」  通路の行き当たりの扉でニードルが手招きしている。明らかに挑発だが、頭に血が上ったケイはそれに乗ってしまう。ちなみにシェルドは頭に血が足りなくて判断できない。 「この野郎ーっ!!」 「け、ケイ、待って……!」  飛び蹴りをかます寸前にニードルが扉の陰に消え、渾身の足裏は虚しく空を切る。空中でバランスを失ったケイの下に入り込むようにシェルドがつんのめって続く。 「きゃあっ!」 「ぐえっ!」  折り重なって転がるふたりの身体は、壁に激突してようやく止まった。 「ヒャヒャヒャ……いいザマだなァ! ヒャヒャヒャ!」  扉の陰に隠れてそれを見届けたニードルは、薄気味悪い笑い声をあげながら部屋を飛び出していった。  やや遅れて、重い音と共に扉が閉まり、乾いた音が鳴る。  いっそう遠くなった笑い声を聞きながら、ケイとシェルドはどうにか体勢を立て直した。 「あいたたたたた……あの野郎〜……」 「無茶しすぎだよ、ケイ……」 「うっさいね! さっさと追いかけるよ!」  まだまだ元気いっぱいのケイが扉に飛びつき、ノブを捻る。 「……うん?」  違和感を覚えるケイがドアを引こうとしても、硬質の扉はビクともしない。 「どうしたの?」 「いや……なんか……」  がちゃがちゃと何度も試みるケイだが、うんでもなければすんでもなかった。  と、視線を巡らせたシェルドが気付く。 「ここ……もしかして……?」 「何さ……え……?」  シェルドの声に促されたケイも、事態を悟った。  簡素なベッド、洗面台、便器。  部屋には見事なまでの独房セットが配置されていたのだった。 「ヒャヒャヒャ! ジャリはジャリ同士仲良く乳繰りあってろってんだよォ!」  遠くかすかに聞こえたケイの悲鳴に勝利を確信し、ニードルは足取りも軽く廊下を行く。  飛ぶような速さで自室にたどり着いたニードルが目指すのは、隠しカメラからの映像を受信・記録していた自分の端末だ。  カメラに気付かれたのが最後のケイが着替え終わったあとであったことを考えれば、それまでに着替えた7人全員のあられもない姿がしっかりと記録されているはずだった。  フェイスマスクに覆われて見えにくい表情は、それでもしっかり愉悦に歪んでいる。並びの悪い歯が剥き出しになり、その隙間から唾液が泡立つ。 「ヒャヒャヒャ……どうだ? どうなんだ?」  ファイルの展開ももどかしくキーを叩く。  しかし。 「……あん?」  映し出されたのはフローレンスの生脚でもパティのナイスバディでもカチュアのロリータボディでもなく、フェイ・シーファンの能面のような顔だった。その背後には何もなく、暗闇にただ彼女の青白い顔が浮かんでいる。 「……お仕置き、です……」  僅かな口の動きだけでフェイがそう告げたかと思うと、端末のモニタがブラックアウトした。  一瞬遅れて、端末の内部から異音が響き始める。 「ッ……あのアマァ!」  ニードルはすぐにその音の正体を看破するが、既に端末が始めた動作を止めることは出来なくなっていた。 「クソッ、止まれ、止まりやがれェ! 消えちまうじゃねェか、何もかもよォ!」  必死の形相でキーボードに指を走らせるニードルだが、端末がそれに応えることはない。  異音はニードルの抵抗も空しく間断なく続き、その目的を果たすとようやく止まった。 「チクショウ、チクショウ、チクショウ……」  ニードルは呪詛のように呟きながら再起動を試みるが、どこかで彼が気付いていたとおり、端末は二度と動き出さなかった。 「チックショォォォォォォォ!!!」  ただのガラクタと成り果てた端末を壁に叩きつけ、ひしゃげたそれを何度も何度も踏みつける。  そんな行為をしても、ニードルの怒りはこれっぽっちも鎮まらなかった。 「そっちね、ミリアム!」 「はい……ほらっ、アキラくん♪」 「よしきた、行くぞショウ!」 「えっ!? わっ、わっ!」  クレアからミリアム、そしてアキラのアタックから慌てながらも何とかビーチボールを打ち上げたショウは、勢い余って砂の中に倒れ伏す。  その真上から今打ち上げたばかりのビーチボールが落ちて、間抜けな音を立てた。 「ショウ、へたっぴー☆」  浮き輪に座って海の上から鈴の音のような笑い声をあげるカチュアに悪意はないが、そんなに直球で言われればショウもヘコむ。 「ひどいよ、カチュアちゃん……」  誰にも聞こえないような小声で呟き、顔と胸についた砂を払う。  長いこと遊んでいてそろそろ疲れてきているし、そもそもアキラとミリアムという相手が悪い。身体能力が根本から違うのだ。クレアはそういう意味では同じラインにいるが、彼女のバイタリティは常人をはるかに凌駕している。 「ショウさん、代わりましょうか?」 「お、お願いします……」  フローレンスに後を託し、ショウはふらつく足取りでパラソルの下へと戻った。  レジャーシートは日に照らされ続けて暑いくらいだが、砂浜の上よりはマシである。だらしなく大の字になって寝そべったショウの額に、突然冷たい塊が当てられた。  驚きに目を開いたショウの顔の上で、ユリウスが優しい笑みを浮かべている。 「冷えたジュースだ。水分を補給しておけよ」 「ありがと、ユーリィ」  ゆっくり上体を起こし、改めてユリウスからジュースのパックを受け取る。  キャップを捻って咥えると、冷たさとフルーツの爽やかな甘さが口の中を満たす。  目を閉じてそれをゆっくり堪能するショウの脇で、ユリウスもスポーツドリンクを口にしていた。 「楽しそうだな、みんな」 「うん。……ユリウスは、楽しくないの?」 「僕か? 僕は、そうだな……」  砂浜の光景を眺めながら、ユリウスは思案する風に目を細めた。  クレアとミリアムとアキラとフローレンスは鮮やかにビーチボールでラリーを続けている。アキラがすっかり手加減しているのもあるだろうが、フローレンスもなかなかどうして、いい動きをしている。  波打ち際ではカチュアが浮き輪の上からフローレンスを応援している。流されないように押さえているバーツは、案外マメだ。  ケインとエルフリーデの姿が見えないが、ふたりのことだからどこかで泳いでいるのだろうと思える。  すぐ脇に目を転じれば、パティとサエンが暑さにもめげず熟睡しているらしかった。  ユリウスは軽く頷き、 「みんなのストレス解消になっていると思えば、気も休まるよ」  と、身を横たえた。  楽しい、と素直に口にしないユリウスを気にかけていたショウも、疲れと暑さにやはり身を横たえる。 「あっついねー……」 「そうだな……」  パラソルの布地越しに、むきになったように熱と光を放つ太陽が透けている。いつ、どこにあるのかわからない島だったが、太陽の暑さはショウが知っているそれと同じだった。 「でもさ」 「うん?」 「ユーリィが来てくれて、よかった」 「……何を言い出すんだ君は」 「ひょっとして、ユーリィは来ないんじゃないかって、思ってた。なんかユーリィ、こういう遊ぶの嫌いそうだし」 「まぁ……否定はしない」 「でしょ? ……だから、さ」  ころりと転がって、ショウの心から嬉しそうな笑顔がユリウスに向けられる。 「ユーリィがみんなと遊びに来てくれて、嬉しかったよ」  それを横目で一瞬捉えたユリウスは、呆れたように嘆息しながら瞳を閉じた。 「……まったく」 「……えへへ」 「……へいへい、ごちそうさま……」  傍らでパティがそんな風に呟いたのを、ふたりの少年は気付いたかどうか。 「なかなかうまくいっておるようじゃのう」  艦長席に座ったまま寝ていると思われていたジェフリーが唐突にそんなことを言って、さしものフェイも少しばかり驚いた。  冷静沈着、というより何事にも動じぬ無表情で知られているフェイ・シーファンだが、彼女にも想定できない事態というのもある。  ジェフリー・ダインという齢も知れない謎の老人は、彼女にとってしばしばそんな事態を作り出す存在であると言えた。 「そうですね……」 「あの世話焼きのお嬢さんが言い出したことだと聞いたときにはどうなることかと思うたが……善哉善哉」  顎鬚を揺らして気持ちよさそうに笑うジェフリーに、フェイも控え目に笑顔を返す。  確かに、恙無く休暇旅行は終わりそうである。ニードルの件は、問題がないとは言わないけれども、すでに決着のついている事項である。  それに比べれば、手元のモニタに小さく表示させているふたりの様子の方がよほど気になることであった。  監視カメラの映像を呼び出しているその四角形の中では、赤いビキニの上から白いTシャツを羽織っただけの少女と、水色のトランクスタイプの水着だけの少年が微妙な距離感で背を向けあっている。  そんな小さな映像でもわかるほどメリハリのきいた、おそらくGジェネレーション隊でも1、2を争うナイスバディの少女はケイ・ニムロッドで、そんな魅惑的な肢体を視界の外に置くようにして固まっているのはシェルド・フォーリー――-要するに、ニードルによって独房に誘い込まれたまま放置されているふたりの現在の姿であった。  フェイの方から操作して出してやれないこともないのだが、留守番中の数少ない娯楽をなくしてしまうのも勿体無かったし、彼女がこれまでに耳にした噂を信じるならばケイとシェルドにとっても意義のある時間であると思えたので――-そういうことにして――-今もそのままになっている。  とはいえ、フェイの期待と予想は外れ、ふたりの間に何かが起きそうな様子はまったくないのであるが。  ほぅ、とあまりに意気地のないシェルドにフェイがかすかな溜息を漏らした、瞬間であった。 「……あら……?」 「む?」  断続的に鳴り出した電子音は、フェイが聞きなれているものだった。  しかし、まさかこんなところで鳴るはずがないと思っていた種類の音だったために、それをそうだと認識するまでに若干の時間を要した。  我を取り戻したフェイの指がコンソールを走り、電子音の正体を突き止める。 「これは……モビルスーツ、接近!」 「何じゃと……!?」  ジェフリーの言葉にも驚きが露わになっている。  それも当然である。今彼らがいるのは、いつの時代のどこかもわからなかったが、少なくともモビルスーツが存在しうる時間、場所ではないはずなのだ。  しかし現にテンザン級のセンサーはモビルスーツを感知し、警報音という形でそれを伝えている。 「方位と数は?」 「……12時から、6機です……!」 「ふむ……随分と大所帯でお出ましじゃの」」 「艦長……」 「外に出ている者を呼び戻してくれ。出来る限り素早く、この場を離れねばならん」 「了解……!」  深刻な表情をしながらも冷静に指示を出せるジェフリーの様子に安堵して、フェイはマイクのスイッチを入れた。 「緊急事態です……モビルスーツが接近しています……皆さん、速やかに艦に戻ってください……」  パラソルの下でつかの間まどろんでいたショウは、切羽詰ったフェイの声に覚醒した。  傍らでは、ユリウスがすでに立ち上がって撤収の準備を始めている。 「ユーリィ、何があったの?」 「それは――-」  いつもならばまるで原稿を読んでいるようにすらすらと答えを返すはずのユリウスは、しかし口篭って、手を動かすのに集中する。 「――-とにかく、すぐに引き揚げるんだ」  いぶかるショウが立ち上がってシートの上の雑物を片付け始める頃には、クレアを先頭に、ミリアムやアキラ、バーツ、フローレンスとカチュアも戻ってきていた。 「ほら、パティさん、起きてください!」  フローレンスに揺さぶられて、仰向けに眠っていたパティも目を覚ます。 「んー……何ぃ?」 「緊急事態です。片付けますよ」 「……もうちょい寝たい……」 「パティさん!」  半ば無理矢理起こされるパティの脇ではテキパキと撤収作業が進み、バーツとアキラがほとんどの荷物を抱えている。 「サムライとノーブルレディはどうした!?」 「連絡は行っているはずです! 僕達は艦に戻りましょう!」 「ミンミちゃんとデニスさんもいないよ!」 「彼女達も大丈夫だ! 早く、艦内へ! 攻撃が来ます!」  ユリウスの言葉を裏付けるように、テンザン級の向こう側から爆発音が響いてきた。  それまでのお遊びムードはどこへやら、全員が真面目な表情で母艦へと殺到していった。 「状況は!?」 「敵モビルスーツ6機が接近、攻撃をかけています……」  着替えるのももどかしく、水着のままブリッジに駆け込んできたユリウスの問いに、フェイは落ち着いて答える。 「さらに、後続機を確認……」  ユリウスにくっついてブリッジまでやってきたショウは、フェイの言葉に驚きを見せていた。  2個小隊を超える数のモビルスーツが、どこから?  ショウでも抱くことができる当たり前の疑問を、ブリッジの誰もが抱いていた。 「……艦長、発進用意は――-」 「出来ておる。お前さんの許可があればいつでもこの島からおさらばできるわい」 「――-ありがとうございます。フェイ、デニスとミンミ、それからエルフリーデとケインの状況はわかるか?」 「お待ちください……デニスさんとミンミちゃんはあの離れ小島のどこかに……エルフリーデさんとケインさんは……内陸部に入ってしまっているようです……本艦から見ると、敵機の向こう側に……」 「そんな……!」 「慌てるでない」  絶望的な呻き声をあげるユリウスを、ジェフリーが叱咤する。 「彼らとて凡俗の人間とは違う。わしらにはなすべきことがあろう」 「……わかってます。緊急発進、この島を離脱してください!」 「えっ――-」  ユリウスの言葉に異議の声をあげようとしたショウを遮るように、肉感的な肢体がブリッジに飛び込んできた。 「ごめん、遅くなった!」  絶妙なタイミングで現れたパティは、直前のユリウスの指示が聞こえていたのだろう、迷わず舵輪に飛びつき、機関出力を引き上げる。  高らかに唸りをあげる機関の微振動に包まれるブリッジで、ショウはユリウスを振り返った。 「この島を離脱するって、どういうことさ!?」 「そのままの意味だ。今この艦にはモビルスーツも何もない。攻撃を受ければ、反撃する術は無いんだ」 「だからって、まだ外にはミンミちゃん達がいるんでしょ!?」 「ミンミとデニスはサバイバルの心得がある。ケインは充分自然の中で生きていく力を持っている。エルフリーデも彼と一緒だ」 「それで、敵陣の中に置いてっちゃうの!?」 「そうじゃない。今、僕らは態勢を立て直すために――-」 「ユーリィ!」  泣きそうな顔を向けてくるショウに深く息を吐いて、ユリウスは鋭い目をショウに向けた。 「――-ジェフリー、後をお願いします」 「うむ」 「来い、ショウ」  日に焼けて赤くなったショウの腕を鷲掴みにして、ユリウスはブリッジを出た。 「ショウ」  ブリッジを出たところの壁に叩きつけるようにショウを離して、ユリウスは低く押し殺した声を発する。静かではあるが、冷静とは程遠い声。 「今ミンミ達を助けに向かえば、この艦は沈む……それもわからないか?」 「けど、ミンミちゃん達は!?」 「……少しの辛抱だ。必ず助けに戻る。準備を整えてな。わかってくれ」 「わかんないよ! どうして敵が来るようなところに、仲間をほったらかして行けるのさ!?」 「――-僕が、好きでそんな選択をしてるって、思ってるのか……ショウ?」  鼻先が触れるほどの距離に詰め寄って、ユリウスが問う。動揺と興奮で荒くなった吐息が混じり、消える。  真紅の瞳に互いの姿が入り込み、合わせ鏡のように無限に続いていく。その姿が滲んでいるのは――-どちらの涙だろう? 「ユーリィ……」 「今は退く。ここは、僕が結末を知っているような、予定調和の世界じゃないんだ」  その言葉は、冷静沈着な天才の限界を示していた。  宇宙世紀、未来世紀、A.C.、戦後世紀、全てを過去とし得る世界の存在であるユリウスにとって、これまでの戦いは記録にある歴史をなぞるものだった。  今回は、そうではないというのだ。  ユリウスの瞼が緩やかに下がる。紅い回廊が閉ざされ、ショウの目の前には弱りきったひとりの少年がいるだけになった。全てを知り、全てを見通すような慧眼の少年は、もういない。  少年の首が、前に倒れる。 「でも、ユーリィ……」 「必ず戻る。必ず助ける。だから、ショウ……」  縋るようにもたれてくるユリウスを胸に抱きとめながら、ショウは窓に目をやった。遥か向こうに揺れる島影は、つい十数分前までそこで天国のような時間を過ごしていたとは思えないほど遠く、小さくなってしまっている。  しかし、彼らはすでに踏み込んでしまっているのだ。  彼らの知る歴史から遠く遠く離れた、「IF」の世界へ。 To be continued to the next story.